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中国経済、妙佛さんの診断


* はじめに
妙佛(みゃうほう)さんは中国人ユーチューバー。博識をもって興味深い中国の事情をおしえてくれる。今回は中国政府が景気刺激にてんじたと次のようにおしえてくれる。

* 中国の借金経済
中国は景気がよさそうとおもってた日本人がおおい。だがそれは見かけだけ。そうよそおってる。この危なさは政府は承知、二年ほど前から借金をへらそうと引き締め策をやってる。

一つはデフォルトさせる。不良債権をもつ企業をつぶす。次であるが不良債権を庶民につけかえる。どういうことか。債権だから証券化し細分化して(高金利にして)うる。こうして不良債権を銀行から切りはなす。おなじように一部(不良債権をもつ分野)を別会社にして切りはんす(最後はつぶれるだろう)。つまり(優良債権だけをもつ)国有企業をのこす。

さらに不良債権がふえないようにする。(銀行が保証するといって)バンバンかしてたが、これは不良債権をふやす。だから保証をやめさせた。こうして借金経済からの脱却をはかってた。ところが、おそろしいことに米国がやってきた。

* 米中貿易戦争
米中貿易戦争である。二年ほどまえから、ゆるやかな引き締めをして経済を正常化に。だがこれで景気が急速に悪化かと、なった。この状況で企業をどんどんとデフォルトとやったら、全滅かも。これはすでに説明したが、(会社はたがいに保証仕あってるから)連鎖倒産してゆく。おおきなところが倒産、別の会社も倒産、海外でおおきな倒産が。これでは(どこをつぶし、どこをのこすなど)とてもコントロールできないと政府をおもった。で、何を。

* ゆるやかな引き締め策を放棄
ゆるやかな引き締めを放棄らしい。地方政府には地方債の発行を奨励。あるいは企業には減税をやる。中国は企業乱立、これが景気刺激となるか疑問。さらにおおきなのは。従来をこえるインフラ投資と。それは新幹線投資。従来も。これは採算のとれない路線がほとんど。というのは景気刺激が目標、儲けは度外視だった。当然、赤字、ところによれば電気代すらはらえない。それをおおくは借金で。鉄道は国策会社、まあもどってくるだろうとイヤイヤかしてた。で、利息がはらえない。なら、それもふくめて追い貸しと、なってる。だからこんな方法が。

中国の鉄道、たとえば北京の地下鉄。これはもうかってるので子会社にして株式上場、これでまとまった資金がはいる。でも、最後は赤字路線にきえてゆくだろう。このほかにも借金の方法がある。で、借金を。つまり金融引き締めをやってたのを、転換。景気刺激にと。それをやると外からみると、ほう景気がいいとなる。でも実情はこんなもの。日本は極めて健全、借金は悪とまで。適度の借金が理想だ。でも、日本みたいに心の豊かさという発想はわるくない。GDP偏重より私はすきという。さて感想である。

* 感想
彼 は立派な中国の知識人である。その見識は参考になる。彼の別のユーチューブもあわせていうと、中国政府は、銀行はつぶさない。で、貸し出し警戒の企業には庶民の金をあてにするという。シャドウ・バンキングとかネット上で個人と個人をつないで金融、というPtoPを。どちらも高利。日本では無理だろが中国ではそれに金を投資する人がいる。だから成りたつという。では結論である。

* 結論
株の専門家、安達誠司氏が、中国はもはやつんだ。スマホがプロダクトサイクルをおえる。それにたよる中国経済のこれ以上の発展はないと、喝破された。まことにみごとな見識である。中国は株式市場も不動産市場も凍結という。私は経済原理を無視した経済運営がいつまでつづくのかとおもってた。どうやら、その惨状があきらかになりそうだ。私は市場に神の声をきく。中国の傲慢さは神をおそれない、とおもう。どうですか国民の皆さん。そうおもいませんか。


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破綻韓国への道



* いわゆる徴用工をどうする
昨年来、差し押さえがつづき、換金の主張、欧州での差し押さえの動きもある。だがまだ実行されてない。日本の報復を警戒する議論もでた。三権分立をたてに韓国政府はうごかない。

* 文在寅大統領の露骨な従北路線
失敗におわったベトナム協議。にもかかわらず開城工業団地、金剛山観光の再開をなおも主張。米国との協調を無視、瀬取り、乗用車ベンツにのった写真で米側の怒りをかう。だが北への愛はいっこうにさめない。

* 深刻な経済にくるしむ庶民
無理な最低賃金の上昇で中小、零細企業が大打撃、雇用をうしなう。家計のいっそうの困窮から徳政令ごとき減免措置を実施。主力産業の沈下、中国の景気悪化による半導体、スマホの不振などがくわわり国民生活をおおいに圧迫。

* 外国にあかるい将来をもとめる韓国人
低調な国内にくらべ企業が対外直接投資を活発化、サムスンは国内の社屋を次々と売却、シンガポールに移転かと噂。たしか二万人の国籍離脱者、日本に就職希望の大学生、これも二万人という。感想である。

* 感想
韓国人はつねに分裂の論をこのむ。日本である。三権分立は口実、韓国政府が一九六五年にえた五億ドルの資金から、損害をこうむった日本企業に補償すればよい。日韓基本条約で解決済みの問題、約束を反故にして日本人の心に火をつけた。経済団体が二階自民党幹事長を訪問し頼みこんだ。政治家を籠絡したとしても日本国民はゆるさない。

完全非核化を目ざす米国の神経を逆撫でし、さらに多数の犠牲をだし韓国をまもってきた米国。彼らに同盟離脱をかんがえるまで追いこんだ。文大統領の夢は北だろうがそれを支持するのはせいぜい半分、もうひとつの半分はつよい反発、最後は国内大混乱だろう。

韓国の有力企業は海外への逃亡をねらってる。能力ある人々も海外にゆく。無力な庶民が国内に取りのこされる。これで国の統合がたもてるか。結論である。

* 結論
少々のことは相手をたて、分裂をさける。そして連帯の道をさぐる。国の存続をかんがえると日本人がやってきたことの重要さをあらためてかんじる。たとえば朝鮮半島に韓国がきえ、一つの国ができたとして、日本はその脅威にたえ自立の道をすすむべきである。そのために核武装をもためらうべきでない。どうおもいますか、国民の皆さん。

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ギリシャの宗教(2の2)

* 犠牲の儀式
祭壇に血液がそそがれることが儀式の重要な場面である。すべての犠牲の儀式はこまかな手順にしたがっておおなわれる。これがおわると犠牲の一部の肉が火にあぶられ神にささげられる。のこりはその後の宴会においてたべられる。この宴会はたびたべ神の酒がふくまれる。牡牛がもっとも高価な犠牲であるといったが、それは牡牛がもっともゼウスとの関係がふかいからである。牡鹿はアポロに関係がふかく、山羊はエルメスに、梟はアテナに関係がふかい。このような儀式はいろいろな機能があるが、中心は神と良好な関係をたもつことである。その他に神秘的な方法により特別なものを受けとることを期待してるものもある。それはこの方法によらなければ通常の生活のなかではけっして受けとれないものである。では、儀式についてみてみる。

* 宗教儀式
宗教儀式においてやることは一連の行為、言葉、対象(objects)である。一連の場所でおこなわれ、さだめられた一連の単位の行為がおこなわれる。たとえば獣の犠牲の儀式である。厳密にさだめれた儀式がおこなわれる。参加者には役割があたえられ、それにおうじて行動する。

* 神の酒
神の酒はまた古代ギリシャでは重要である。これは飲み物が神像のまえに捧げ物としてはこばれる。もっとも普通の飲み物はワインである。神の酒はまたオリーブ油、蜂蜜、水もふくめられる。神の酒は単純な行事でも重要なものとされる。饗宴(symposium)において、たとえばそれがはじまる前に最初のワインが瓶にいれられゼウスにささげられる。神の酒はしばしば手から手にわたされ、そのさいに祈りがとなえられる。公開にむかう前にその安全がいのられる。つづいて神の酒は海にそそがれる。また神への捧げ物としてそなえられる。

* 贈り物
ギリシャ人はしばしば神に贈り物(gift)をする。普通は食べ物である。たとえばその年の収穫が無事におわった時にそのなかから神にささげられる。その他では果物、パン、オリーブ、ワインもまた神にささげらられる。おおくの場合、これは最初にえらたものである。たとえば果物だが、収穫のなかからすこしを最初に神にささげられる。それから人々がたべる。時には、これらのささげ物は火でもやされる。祭壇でもやされ神にささげられる。これは常に神と良好な関係をたもつことをねがってのことである。その他の物も神にささげられる。戦場で放棄された遺物をささげることもある。それを寺院におさめる。これは神の満足をもとめてのことである。では、浄化である。

* 浄化
清浄はギリシャでは極めて重要である。もし寺院や聖域をよごすと神を冒涜したとみなさられる。水をつかって浄化することがもっとも普通である。これがおおくの聖域が湖、川など水の近くにある理由である。もし水がちかくになかったとしたら、水瓶に水をいれて利用する。これで人々は体をあらう。神官も一定の清浄をたもつ必要がある。重要な宗教行事の前には性行為をさけねばならない。

儀式のなかに浄化の行為がふくまれてることがある。たとえば、儀式に混乱がおきたとしたら、それは清浄がよごされたこと、そこで浄化が必要となる。時にはわざと衣服をよごした人物は清浄をそこなったとみなされる。その場合は衣服をあらったり、綺麗な衣服にきかえたれする。このような浄化の行為がなされたら神にたいする清浄がもどったとみなされる。このように神にたいする秩序をたもつことが必要とみなされてる。ところで水だけが浄化の手段ではない。火もまた重要な浄化の手段である。音楽も重要である。

* 音楽
これは狂気を治療するものとみなされてる。おおくの宗教において祈りの時に跪く。しかし古代ギリシャでは、それほど普通ではない。そのかわり人は手を天にむけてあげる。そして祈りをとなえる。もしポセイドンにささげられたなら、人は海に手をむける。では、祭典(festival)である。

* 祭典(festival)
おおくの祭典が古代ギリシャにおいておこなわれた。祭典は古代ギリシャの文化のおおくの場面にあらわれる。それらは特定の神にささげられる。そのなかでもっとも重要なのは運動や音楽の競技の祭典である。もっとも有名なのはオリンピック・ゲームである。ゲームはゼウスにささげられる。このゲームの期間中は戦争や戦いは厳禁である。これはゲームに参加しようとする競技者が自分の都市からやってくるのをより安全 にする。ゲームはしばしば政治的な道具としてつかわれる。おおくの都市は同盟の一つの方法とみなしている。祭典は最初に犠牲の儀式があり、次に行進がおこなわれる。古代ギリシャにおいては、おおくの場合、ダンスと歌謡がふくまれる。そこの楽器のおおくはフルートである。では最後にこまかなことについてのべる。

* こまかなこと
これらの宗教に満足できない人々は、さまざまな秘儀(mystery)をもつ宗教にながれる。その秘密の祭儀(cult)をしろうとしたらそこに参加することである。秘儀に特別の恩寵、通常の宗教ではえられないもの、たとえばエルシアン(elucian)の秘儀は死後の世界を提供してくれる。秘儀のほとんどは特定地域の伝統のなかにある。だがなかにはその他のギリシャに拡大していったものもある。ローマ共和国は紀元前一四六年、ギリシャを征服した。彼らはおおくのことをギリシャからまなび取りいれた。だがキリスト教tがローマの支配的宗教となった後にはローマの皇帝セオドシス(Theodocius)は三九二年に異教として廃止した。これが実質的にギリシャの宗教の影響を消滅させた。

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ギリシャの宗教(2の1)


* はじめに
Religion in Ancient Greece、Historyden、20(2の2につづく)18/11/27 に公開

* 古代ギリシャの宗教
ここでは古代ギリシャの宗教についてのべる。ギリシャの宗教はその日常生活すべてに影響をあたえる。なので極めて重要である。古典ギリシャにおける神々は青銅時代にまで逆のぼるものもある。また、石器時代にまで逆のぼるものもあるだろう。しかし正確に逆のぶるかをきめることはむずかしい。宗教的崇拝の念は石器時代に存在したという証拠がある。ギリシャの外で発見さた墓では紀元前十万年前とされる。死体の埋葬は死者への尊敬の念のあらわれとみれる。

これが宗教的行為の一つかどうか、わかってない。石器時代に宗教的行為があったどうか、書きのこされた記録がないので断定できない。石器時代では人々の交流規模がかぎられる。だから大規模な宗教ははじまってないだろう。農業が導入された紀元前一万年以降から頃からおおくの人々が一定の地域にあつまってきた。

* 青銅時代の宗教
宗教的崇拝がはじまったのは青銅時代の二つの文明、ミノア文明とマイシニア文明であることがわかっている。線文字Bの解読によりわかることがある。古典ギリシャ時代の神々の名前が線文字Bの粘土板に見つかった。ゼウス、アテナ、ポセイドンである。これらは後の古典ギリシャの時代のものと同じである。千年後の古典ギリシャの神々とおなじである。ポセイドンの場合であるが、おなじ神の名前だが彼は古典時代の海に関連づけられた神というより、陸の神である。これが意味するところは何か。青銅時代の宗教的伝統が古典ギリシャにどれほどつたわったかを、かんがえさせる。おなじ名前はたんなる偶然とはいえない。それらはなんらかの連続性があることをしめす。暗黒時代、古代(archaic)時代から古典時代へとつたえられたものとおもわれる。壺や詩によってたどれるのは紀元前八世紀からである。それより以前はわからない。すでにのべたようにマイシニア文明は紀元前十二世紀に崩壊した。その後にはギリシャ本土は暗黒時代に突入した。この時代は三百から四百んつづいた。

* 空白の暗黒時代
つまり四百年の空白があり古代ギリシャ時代となった。この時代になってはじめてギリシャの宗教をおしえる考古学的遺物が発見された。青銅時代の宗教が古典時代につたわった可能性があるのか。これは記録がないと確定しがたい。私は紀元前八世紀に宗教がうまれたが、そのなかに青銅時代の影響をうけたもの、ものによっては石器時代に逆のぼるものがある。そうかんがえるのがもっとも妥当とおもう。

* 古代ギリシャの宗教
古代ギリシャの時代のギリシャの宗教は一人の人物の創造するところでない。たとえばキリスト教はキリストにより創造され、イスラム教はホハメッドにより創設されたというようなものでない。ギリシャの宗教の姿は詩、神話、壺そして石にきざまれた碑文からうかがうことができる。そこでもっとも重要なのはホーマーとヘシオッドの詩である。これらがさまざまな宗教行為、儀式を形成するのに力があったといわれてる。

* ホーマー、ヘシオッドからみる宗教
ホーマーはイリアド、ヘシオッドはシオジニをつうじてである。シオジニはギリシャの神々の起源を説明してる。碑文はまた宗教行為、儀式を説明してる。これは古代ギリシャの宗教の豊かさや多様さをつたえてくれる。総体でみたギリシャの宗教が複雑多様だが、彼らは共通の神々を信仰してるといえるのだが、宗教の姿は複雑で多様である。個々の都市はまた彼らに固有の姿をつたえてる。神々についていえば、もっとも重要な神々はオリンピアの神々である。

* オリンピアの神々
彼らはホーマーの著作によりあきらかとなってる。オリンピアの神々とは彼らがオリンポス山にすんでるとされることからきてる。その神話によれば巨人族とのたたかいにかつて、優位性をえたという。十二人の神々はゼウスに引きいられている。彼は天の父である。そこにはアテナ、ポセイドン、ハーミイズ(hermes)と、さまざまな名前がしめされている。 さて十二番目の神はヘスティア。オリンピアの神の一人だったが彼女は神々の絶え間ない争いにくるしみ、その席をディオニドス(ダイオノイザス)、ワインの神にゆずった。だがさったとはいえ、彼女はなおその棲み家をオリンポス山にもっている。ヘスティアはもはや非常に重要な神とギリシャ神話でかんがえられてない。実際、ホーマーの著作では完全に除外されてる。では次に、寺院と聖域についてみてみる。

* 寺院と聖域
外からみてもっともわかりやすい宗教をあらわすのは寺院である。寺院は通常、聖域につくられる。それは特定の神にささげられる。しばしばその神像が屋内におかれる。祭壇が通常、祭壇が寺院の前におかれる。犠牲をささげ儀式がそこで取りおこなわれる。もっともよくしられた寺院はパルテノンである。これは女神、アテナにささげられたものだ。アテネの市民はアテナを守護神とした。スパルタもまたアテナを自分たちを保護する神とした。ところがコリンスはポセイドンを守護神とした。聖域と寺院の違いをのべる。

* 聖域の特徴
神にささげられた聖域が神が所有する土地となる。ほとんどの場合、聖域は寺院よりふるい。おおくの聖域は寺院をもたない。寺院は都市が発展、繁栄してからつくられる。水もまた聖域では重要な働きがある。おおくの聖域には泉や新鮮な水を提供する泉がある。これは聖域にやってくる旅人にとって重要である。これらの水は旅人や時には獣にさえ利用をゆるす。聖域はしばしば神聖な森をもつ。通常は一つの種類の樹木がある。たとえば、パルテノンのちかくには、オリーブの樹木がある。神話ではゼウスがアテネをめぐってアテナとポセイドンをきそわせた。

ポセイドンは泉をつくり、アテネはオリーブつくった。アテネの市民はアテナがつくったものを受けとった。オリーブの木が彼らの生活の中心となった。その葉は凱旋した将軍や王の髪をかざった。またオリーブが地中海地方で主要な食品となった。古代世界において重要な輸出品目となった。火もまた重要な役割をはたす。そのため、おおくの寺院には蘆(いろり)がある。この重要な火はたやさぬようもやしつづける。永遠の火といった。デルファイもまたおなじように火をたやさない。

おおくのギリシャの都市は市民を派遣しその火を都市に持ちかえる。すでに祭壇を寺院の前におくといったが、おおくの場合、屋外の目立つところにおく。寺院はそちらむきにつくられる。祭壇はしばしば石でつくられる。おおきな石のかたまりがおかれ、祭壇までつづき、そこに腰かけられる。おおくの場合、犠牲の儀式や神にささげる酒の儀式を取りおこなう場所となる。

* 神官
ギリシャには専門の神官はいなかった。古代の宗教でしばしばみられるような専門の神官ではない。ローマにおいては組織された神官がいた。。ギリシャでは誰でも儀式を取りおこなつことができた。通常その役割は都市のなかの重要な人物にまかせられた。たとえばスパルタの王である。ここでオリンピアにあるゼウスの寺院を説明する。

* オリンピアのゼウスの寺院
寺院の内部に高さ四十三フィートのゼウスの神像があった。それは象牙と黄金の板からできてた。その神像は歴史のなかでうしなわれた。どのような状況で破壊されたのかはわかっていない。では予言(devination)をみてみよう。

* 予言
これは将来の未知の知識をもとめる慣行、行為である。それは超自然の方法によるものである。神託をつたえる神託者と占い者がいる。両者は予言をおこなう。神託は神または土地の意志をつたえる媒介者である。その予言は神の意志として理解されてる。占い者は神託者とちがい直接神と接触してない。神は印を提供する。占い者はは神がおくった予兆をしらべる。それは鳥、獣、何かの跡、その他の方法をつうじて提供される。

占い者は神託者よりはるかにおおくの数の人がいた。占い者は単純な問に「然り」とか「否」という答しか提供できない。ところが神託者はもっと一般的な質問にこたえることができる。占い者はあらわれた印を読みとる義務がある。その印は将来が惡いか良いかをしらせるものである。これのほとんどすべてがゼウスがおくってきたものである。それらは雷鳴、日食、雷鳴がともなう嵐などであるが、もっとも重要なのが鳥の飛跡である。単純な善悪の答だから、これはよい知らせかわるい知らせかである。もしよい知らせだったら将軍は戦いにむかう。わるい知らせだった野営地にとどまり、よい知らせのおとづれをまつ。占い者は行軍中の軍にいつも付きそっている。では神託者についてはなす。

* 神託者
神託者は通常、聖域あるいは寺院に付随している。もっとも有名な神託者はデルファイのである。これはアポロの意志をつたえるものである。これはギリシャ文化の世界全体におおきな影響をあたえた。神託者の女官は古代ギリシャにおいてもっともたかい宗教的権威をもってた。彼女はあらゆる種類の質問にこたえるが、通常は政治、戦争にかんする問題である。外国の有力者が直接訪問することもめずらいことでなかった。彼女は 古代世界で有名だった。すでに神託者は神あるいは土地の意志をつたえる媒介者といった。

彼らの予言は神の意志をしめすものとかんがえられた。神はさまざまな神託者をつうじて神託をつたえる。デルファイの神託者はアポロと交流しているとしんじられてる。地中から吹きだしている火山の炎や蒸気にかこまれてる。そして神託者は恍惚状態に落ちいる。そして神託の言葉をはつっする。それはは理解しがたい発言である。それをそばにいにる神官が書きとる。ところでデルファイは地球の中心という。神話にいうがゼウスが二羽の隼をはなした。一つは西から。もう一つは東からである。二つは最後に出あった。そこがデルファイである。では宗教行事についてのべる。

* 宗教の行事
最初は獣の犠牲で。もっとも敬虔な宗教行事である。犠牲には山羊、羊あるいは他の獣がふくまれるが、もっともたかい価値があるとかんがえられる犠牲は牡牛である。典型的な例だが、祭壇まえをゆく行列のなかには犠牲の獣がふくまれる。通常は犠牲は布によりかざられている。行列の行進には音楽がともなうことがめずらしくない。犠牲が祭壇にささげらる前に祈りの言葉がとなえられる。そして犠牲の獣はナイフまたは斧で切断される。犠牲からこぼれる血液はあつめられ、祭壇のうえにそそがれる。
(2の2につづく)
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簡略ギリシャ歴史、マセドニアの興隆2


* はじめに
Ancient Greek History - Rise of Macedon Part 2、Historyden、2018/10/25 に公開)

* マセドニアの事情
これまでのべたようにマセドンは南部ギリシャから切りはなされてた。その理由の一つは地理的条件だった。オリンポス山がマセドニアとテッサリのあいだの境界線となってた。オリンポス山は五十二の峰をもち、最高峰は三千メートルだった。北部のマセドニアから中央ギリシャには非常に困難な道をこさねばならなかった。マセドニアとテッサリの境界線となってた。

* マセドンの王たち
これからマセドンの王についてのべる。アレクサンダー一世とアカレイアスは卓越した王だった。アレクサンダーはギリシャ・ペルシア戦争のなかですぐれた働きをした。彼はペルシアに従属したが状況におうじてうごいた。彼は忠誠心にかけてたともいえる。マセドンはペルシアから独立できるほど強力な軍隊をもってなかった。他方、南部ギリシャの都市国家はより強力だった。そのため力のつよいほうになびいたといえる。

* ペルシアからギリシャへ
ペルシア戦争がおわってからは、マセドンはペルシアと完全に手をきった。そしてもっとギリシャの政治に関係をもつようになった。マセドンはアカレイアスの治世のあいだに興隆した。彼は材木をアテネにうって国庫を非常に豊かにした。それをつかってマセドンの社会インフラをおおいに整備した。

* ダルダニアンに敗北
王位がアミンテス三世につがれた。彼はアレクサンダー三世、ペルディカス、そして勿論、フィリプという三人の息子をもってた。最年長のアレクサンダー二世は暗殺されたのでペルディカスがそれをついだ。彼はダルダニアを国内から追いだそうとした。この大胆なこころみは最終的にはどんでもない惨事でおわった。マセドンは四千人をうしなった。さらにわるいことに戦闘でペルディカスがダルダニアンにころされた。彼の息子、アミンテス四世が王位をついだ。

* フィリップの登場
彼は幼児だったのでフィリップが摂政となった。だが予想できたが王位を要求し紀元前三五九年、王位についた。これは通常の状況ではおきないことだったが、当時は通常ではない。マセドンはあらゆる方面からの危機に面してた。そのため強力で有能な指導者を必要としてた。フィリップはあきらかに適任であり困難な課題に立ちむかった。そしてマセドニアを完全な崩壊からすくった。彼はこの前に三年間、シーブスで捕虜としてすごした。そこで外交と軍事につきすぐれた教育を将軍、イパマナンデスによりうけた。彼が成功をおさめることにイパマナンデスの力がおおきかった。すでにのべたがフィリップは非常な危機に王位についた。

* フィリップの統治
フィリップの統治はまず外国の侵略に対抗することだった。スレイスとレリアンが彼をおびやかした。すぐに対応しなければならなかった。ところが紀元前三五九年の敗北があったからマセドニアには実質的に軍隊はなかった。まず外交で対処しなければならなかった。彼は単純にスレイスの軍を賄賂によって退却してもらった。

* 対外融和策
ダルダニアンである。彼らは上部マセドニアを占拠し恒常的な脅威であった。フィリップはこれに戦闘で勝つ力がなかった。王政の統合をなしとげ軍を再建する。それにはもっと時間がかかった。ダルダニアンと同盟関係をかためたのは賢明だった。婚姻だった。ダルダニアンの王、バーダラスの最年少の孫娘との婚姻だった。これにより時間をかせぎ当面の侵入をふせいた。これで王の権威を確立することができた。当面の外国からの侵入をふせいで彼は潜在的王位の競争相手と対抗するうこととなった。

* 王位をねらう競争者の排除
もっとも深刻なものがアジーアスとのものだった。彼はアテネを説得して王位につく支援の約束をえていた。アテネは艦船と三千の重装歩兵をおくってきた。アジーアスととアテネはアンティポリスに進軍することとしてた。しかし彼はマセドニアの大衆の支持をえることができなかった。そのため彼はアテネの主要基地、ミソニにもどることとなった。フィリップは退却する彼をとらえその軍隊に打撃をあたえた。このときアテネとの友好に配慮しアテネの捕虜を傷つけず送りかえした。それはすこしばかりの勝利だったが、マセドニアの軍の士気をおおいにたかめた。

* 軍の再編、強化
歴史家によると彼は最初の戦いに勝利したことでより大胆に次の戦いにのぞめるようになったという。こうして国境と王位をかため、紀元前三五九年と紀元前三五八年に彼は軍の再編に取りかかった。これがマセドニアの軍を古代の世界がうらやむほどの軍をつくることになった。戦いに生きる人としてフィリップは当然、マセドンをもっとも強大な勢力とし、ギリシャの覇権をにぎろうとした。

* フィリップに影響をあたてた医大な将軍たち簡略ギリシャ歴史、マセドニアの興隆2

* はじめに
Ancient Greek History - Rise of Macedon Part 2、Historyden、2018/10/25 に公開)

* マセドニアの事情
これまでのべたようにマセドンは南部ギリシャから切りはなされてた。その理由の一つは地理的条件だった。オリンポス山がマセドニアとテッサリのあいだの境界線となってた。オリンポス山は五十二の峰をもち、最高峰は三千メートルだった。北部のマセドニアから中央ギリシャには非常に困難な道をこさねばならなかった。マセドニアとテッサリの境界線となってた。

* マセドンの王たち
これからマセドンの王についてのべる。アレクサンダー一世とアカレイアスは卓越した王だった。アレクサンダーはギリシャ・ペルシア戦争のなかですぐれた働きをした。彼はペルシアに従属したが状況におうじてうごいた。彼は忠誠心にかけてたともいえる。マセドンはペルシアから独立できるほど強力な軍隊をもってなかった。他方、南部ギリシャの都市国家はより強力だった。そのため力のつよいほうになびいたといえる。

* ペルシアからギリシャへ
ペルシア戦争がおわってからは、マセドンはペルシアと完全に手をきった。そしてもっとギリシャの政治に関係をもつようになった。マセドンはアカレイアスの治世のあいだに興隆した。彼は材木をアテネにうって国庫を非常に豊かにした。それをつかってマセドンの社会インフラをおおいに整備した。

* ダルダニアンに敗北
王位がアミンテス三世につがれた。彼はアレクサンダー三世、ペルディカス、そして勿論、フィリプという三人の息子をもってた。最年長のアレクサンダー二世は暗殺されたのでペルディカスがそれをついだ。彼はダルダニアを国内から追いだそうとした。この大胆なこころみは最終的にはどんでもない惨事でおわった。マセドンは四千人をうしなった。さらにわるいことに戦闘でペルディカスがダルダニアンにころされた。彼の息子、アミンテス四世が王位をついだ。

* フィリップの登場
彼は幼児だったのでフィリップが摂政となった。だが予想できたが王位を要求し紀元前三五九年、王位についた。これは通常の状況ではおきないことだったが、当時は通常ではない。マセドンはあらゆる方面からの危機に面してた。そのため強力で有能な指導者を必要としてた。フィリップはあきらかに適任であり困難な課題に立ちむかった。そしてマセドニアを完全な崩壊からすくった。彼はこの前に三年間、シーブスで捕虜としてすごした。そこで外交と軍事につきすぐれた教育を将軍、イパマナンデスによりうけた。彼が成功をおさめることにイパマナンデスの力がおおきかった。すでにのべたがフィリップは非常な危機に王位についた。

* フィリップの統治
フィリップの統治はまず外国の侵略に対抗することだった。スレイスとレリアンが彼をおびやかした。すぐに対応しなければならなかった。ところが紀元前三五九年の敗北があったからマセドニアには実質的に軍隊はなかった。まず外交で対処しなければならなかった。彼は単純にスレイスの軍を賄賂によって退却してもらった。

* 対外融和策
ダルダニアンである。彼らは上部マセドニアを占拠し恒常的な脅威であった。フィリップはこれに戦闘で勝つ力がなかった。王政の統合をなしとげ軍を再建する。それにはもっと時間がかかった。ダルダニアンと同盟関係をかためたのは賢明だった。婚姻だった。ダルダニアンの王、バーダラスの最年少の孫娘との婚姻だった。これにより時間をかせぎ当面の侵入をふせいた。これで王の権威を確立することができた。当面の外国からの侵入をふせいで彼は潜在的王位の競争相手と対抗するうこととなった。

* 王位をねらう競争者の排除
もっとも深刻なものがアジーアスとのものだった。彼はアテネを説得して王位につく支援の約束をえていた。アテネは艦船と三千の重装歩兵をおくってきた。アジーアスととアテネはアンティポリスに進軍することとしてた。しかし彼はマセドニアの大衆の支持をえることができなかった。そのため彼はアテネの主要基地、ミソニにもどることとなった。フィリップは退却する彼をとらえその軍隊に打撃をあたえた。このときアテネとの友好に配慮しアテネの捕虜を傷つけず送りかえした。それはすこしばかりの勝利だったが、マセドニアの軍の士気をおおいにたかめた。

* 軍の再編、強化
歴史家によると彼は最初の戦いに勝利したことでより大胆に次の戦いにのぞめるようになったという。こうして国境と王位をかため、紀元前三五九年と紀元前三五八年に彼は軍の再編に取りかかった。これがマセドニアの軍を古代の世界がうらやむほどの軍をつくることになった。戦いに生きる人としてフィリップは当然、マセドンをもっとも強大な勢力とし、ギリシャの覇権をにぎろうとした。

* フィリップに影響をあたてた医大な将軍たち
フィリップのかがやかしい生涯をのべる前に、ここで何人かのすぐれた将軍についてのべる。これはすでにのべた物語りのなかからえらんだものだ。まず、マラソンの戦いに勝利したミルタイアディ、彼は意図的に編隊の中央をよわくした戦術をとった。こうして両翼を強化した。これで数倍の戦力をもつペルシアの軍隊に対峙した。次にペロポネソス戦争の時のすぐれた将軍である。

ブラスディスとデモスタニイである。ブラスディスはアンティポリスをうばった。デモスタニイはペロポネソス戦争の流れをかえた。その大胆な作戦でスパルタからパイロスをうばった。

ゼネフォンは配慮にとんだ退却作戦を成功させた。ペルシアの奧ふかく侵入し、そこから一万人の傭兵隊を見事に退却させた作戦である。さらにイパマナンデスがいる。

彼は古代と現代の歴史家からもっともたかい評価をうけてる将軍である。左翼に分厚い戦力を配備するという彼の作戦がルトラの戦いでスパルタをやぶった。これがギリシャ全土を支配しようとするスパルタの野望を打ちくだいた。

また革新的な軽装歩兵の作戦を発明したアテネのフィクラテスをわすれてはならない。これはコリンス戦争においてスパルタ軍をなやませた。フィリップはこれらの戦術、戦法をまなんできた。彼は天才だった。何が役にたつか、何がそうでないかを見事に識別した。

* フィリップの戦術の特徴
彼は役にたつ要素を取りいれ自分の軍と仕たてあげた。おどろくべきはその速さである。ある歴史家の言である。彼はおおきな危機をまえにしてもけっしてあわてない。マセドニア人を一連の集会にあつめ、雄弁により彼らの士気をたかめ、軍を編成し、適切な武器を配備し、一定の戦術にしたがい繰りかえし訓練をおこなう。こうして無駄なくまとまった密集編隊を完成させた。盾を横につらねることで兵を保護する接近戦法を取りいれた。これはトロイの戦士たち戦法をまねたものである。これが最初のマセドニアの密集編隊であるという。

* 常備軍の編成
フィリップはギリシャ征服のために、無敗の軍をもとうとした。彼は年中行動できる職業的な軍をつくった。これで軍は一年中はたらける職業的な軍となった。召集におうじて編成されるのでなく常時存在する常備軍である。これでいつでも作戦が実行できる。随時にもとめられる作戦や脅威に対応できる。そして兵には給料がはらわれる。ただし重要なことだが傭兵ではない。彼らは完全にマセドニアに忠誠をちかった兵である。いろんな点から彼らは現在のアメリカ、ロシア、フランスの軍とおなじである。彼らは給料がもらえる。そして自分たちの国に忠誠をちかってる。では、マセドニアの編隊についてみてみよう。

* 軍の編隊の特徴、重装歩兵に長槍
まず、重装歩兵、えらばれた重装歩兵、重装騎馬兵である。この他については後にのべる。密集編隊の主要部隊であるのが重装歩兵である。マセドニアの騎馬兵は優秀である。だが歩兵に問題がある。これが弱点である。彼が最初に手をつけた改変だった。彼らが南部の重装歩兵たちに立ちむかうのであるから。彼がやったもっともすぐれた革新はサリッサ、長槍の導入だった。長さで当時の歩兵がつかうドリスという槍より圧倒的にながく有利だった。ドリスは二から二メートル半だったが、サリッサは四から六メートルもあった。この長さの槍をあやつるには両手で操作する。そのため彼らを保護する盾は通常は首からつるした。

サリッサのこの長さはドリスとの戦いできわめて有利となった。相手が攻撃を仕かけようとすると、まずこのながい槍をかいくぐって近づかなければならない。このためマセドニアは相手を草でもかるように、戦車が相手を蹴ちらすようにすすめた。これは編隊の中央をしめる重装歩兵隊があつかった。このためマセドニアの密集編隊の終局の目標は相手を押しこみ一定の距離にとどめることだった。これはマセドニア軍の不敗の戦線となった。もし戦いが接近戦にうつったとしても、彼らは対応策をもってた。非常にたくみに相手の前線からの攻撃にたえ、時にはその前線を切りさいた。

* えらばれた重装歩兵隊
次に有力な戦力はヒパスパスト、えらばれた重装歩兵である。彼らは盾をもちドリスとおなじような槍をもってた。彼らは重装歩兵の両翼をしめた。重装歩兵の方向転換は容易でない。そのため側面攻撃を保護するおおきな役割をもってた。ヒダスペスの保護は騎馬兵と軽装歩兵がおこなった。ギリシャの歩兵編隊は横からの攻撃に弱点があったので、このような編隊で横からの攻撃をふせいだ。繰りかえすがこうしてヒダスペスは密集編隊の主要部隊である重装歩兵の前線が攻撃に専念できるようはたらいた。彼らはこれで実質的に不敗の部隊となった。ただ、ヒダスペスの機能や武器については色々な意見があることを付記しておく。しかしヒダスペスがフィリップの部隊において不可欠な部隊であることは間違いない。

* コンパニオン騎馬兵
最後にコンパニオン騎馬兵についである。彼らは最良の馬にのり最良の武器をつかった。コンパニオン部隊はおもに上流層の市民から編成されてた。つまり彼らはそこに必要とする馬や武器の費用をまかなう余裕がある人々だった。通常は騎馬隊は八の部隊にわかれ、それぞれがほぼ三百の馬をもつ。コンパニオンは通常、楔形の形で攻撃する。おおくの場合、騎馬隊が最初に攻撃しショックをあたえるものだった。後年、アレクサンダー大王は彼みずからがこの部隊を引きい、相手の部隊に決定的打撃をあたえた。マセドニアの編隊では彼らは最右翼、ヒダスペスヒダスペスの右をしめた。おどろくような短期間でフィリップは古代の世界ではもっともすぐれた部隊を作りあげた。

* ダルダニアンへの攻略
紀元前三五八年までに軍隊の再編をおえて活動できるようにした。彼はマセドニアにはもっとも危険な存在存在をを取りのぞく決意をかためた。それはダルダニアンだった。ダルダニアンは当初、マセドニアの北部にいた。それが西部の山岳地帯の上部マセドニアに進出してきた。ここは外国勢力をさえぎる境界として機能してきたものだった。フィリップが対応しなければならない問題だった。ダルダニアンがここを占拠してる限り、永遠に脅威はさらない。すでにのべたが彼らを掃討してその脅威を消滅させる決意をかためてた。その意図をバーダラスは察知して、現状を維持する条約を提案してきた。フィリップはただちに提案を拒否し、ダルダニアンの軍はこの上部マセドニアから退去しなければならないといった。

* 両軍の編隊
バーダラスもただちにこれを拒否した。両者は戦争にむかうこととなった。両者の戦力は拮抗していた。フィリップは一万の歩兵、六百の騎馬兵。バーダラスは一万の歩兵、五百の騎馬兵である。ダルダニアンは横一線の編隊、両翼に騎馬兵を配置した。おそらく最良の兵を中央に配置した。フィリップもおなじように中央の左に重装歩兵を配置、騎馬兵を両翼に配置した。フィリップはいつものように名誉の右翼をしめた。そこに最強の兵がいた。右翼にヒダスペスを配置した。彼は重装歩兵がダルダニアンの中央に対抗し、ヒダスペスが相手の左翼に突入することを期待してた。

* 戦いの開始
角笛がならされて両軍は前進した。はげしい戦いがはじまった。戦いはどちらが有利ともいえないままにつづいた。だがじょじょに、また着実にフィリップのヒダスペスの部隊がダルダニアンの左翼に侵入していった。ダルダニアンの左翼はおされ後退し、ささえきれなくなった。コンパニオンの騎馬隊の右翼での攻撃も成功していった。このためダルダニアンの編隊が切りさかれた。ダルダニアンの左翼は士気をうしない、戦場から逃げだした。それをみた他の兵たちもおそれおののいて逃げだした。

* フィリップの完勝
フィリップの完勝だった。ダルダニアンは半分の兵力をうしなった。五千の死者、千の捕虜をだした。マセドニアは三百から二百の死者だった。これで完全にダルダニアンの脅威はさった。さらにダルダニアンが占領していた都市を回復した。さらに重要なことはマセドニア西部の状況を有利にすることができた。リリアンのオレド湖にいたる地域を自国領に編入した。これにより国境の安定を確保できた。ここは自然の国境地帯となるとともに、将来の攻撃にそなえた緩衝地帯となった。

フィリップの遠大な征服計画はまだ姿をあらわさない。次にフィリップは北部のギリシャの統一を目ざしてゆくが、それは次のビデオでのべる。


フィリップのかがやかしい生涯をのべる前に、ここで何人かのすぐれた将軍についてのべる。これはすでにのべた物語りのなかからえらんだものだ。まず、マラソンの戦いに勝利したミルタイアディ、彼は意図的に編隊の中央をよわくした戦術をとった。こうして両翼を強化した。これで数倍の戦力をもつペルシアの軍隊に対峙した。次にペロポネソス戦争の時のすぐれた将軍である。

ブラスディスとデモスタニイである。ブラスディスはアンティポリスをうばった。デモスタニイはペロポネソス戦争の流れをかえた。その大胆な作戦でスパルタからパイロスをうばった。

ゼネフォンは配慮にとんだ退却作戦を成功させた。ペルシアの奧ふかく侵入し、そこから一万人の傭兵隊を見事に退却させた作戦である。さらにイパマナンデスがいる。

彼は古代と現代の歴史家からもっともたかい評価をうけてる将軍である。左翼に分厚い戦力を配備するという彼の作戦がルトラの戦いでスパルタをやぶった。これがギリシャ全土を支配しようとするスパルタの野望を打ちくだいた。

また革新的な軽装歩兵の作戦を発明したアテネのフィクラテスをわすれてはならない。これはコリンス戦争においてスパルタ軍をなやませた。フィリップはこれらの戦術、戦法をまなんできた。彼は天才だった。何が役にたつか、何がそうでないかを見事に識別した。

* フィリップの戦術の特徴
彼は役にたつ要素を取りいれ自分の軍と仕たてあげた。おどろくべきはその速さである。ある歴史家の言である。彼はおおきな危機をまえにしてもけっしてあわてない。マセドニア人を一連の集会にあつめ、雄弁により彼らの士気をたかめ、軍を編成し、適切な武器を配備し、一定の戦術にしたがい繰りかえし訓練をおこなう。こうして無駄なくまとまった密集編隊を完成させた。盾を横につらねることで兵を保護する接近戦法を取りいれた。これはトロイの戦士たち戦法をまねたものである。これが最初のマセドニアの密集編隊であるという。

* 常備軍の編成
フィリップはギリシャ征服のために、無敗の軍をもとうとした。彼は年中行動できる職業的な軍をつくった。これで軍は一年中はたらける職業的な軍となった。召集におうじて編成されるのでなく常時存在する常備軍である。これでいつでも作戦が実行できる。随時にもとめられる作戦や脅威に対応できる。そして兵には給料がはらわれる。ただし重要なことだが傭兵ではない。彼らは完全にマセドニアに忠誠をちかった兵である。いろんな点から彼らは現在のアメリカ、ロシア、フランスの軍とおなじである。彼らは給料がもらえる。そして自分たちの国に忠誠をちかってる。では、マセドニアの編隊についてみてみよう。

* 軍の編隊の特徴、重装歩兵に長槍
まず、重装歩兵、えらばれた重装歩兵、重装騎馬兵である。この他については後にのべる。密集編隊の主要部隊であるのが重装歩兵である。マセドニアの騎馬兵は優秀である。だが歩兵に問題がある。これが弱点である。彼が最初に手をつけた改変だった。彼らが南部の重装歩兵たちに立ちむかうのであるから。彼がやったもっともすぐれた革新はサリッサ、長槍の導入だった。長さで当時の歩兵がつかうドリスという槍より圧倒的にながく有利だった。ドリスは二から二メートル半だったが、サリッサは四から六メートルもあった。この長さの槍をあやつるには両手で操作する。そのため彼らを保護する盾は通常は首からつるした。

サリッサのこの長さはドリスとの戦いできわめて有利となった。相手が攻撃を仕かけようとすると、まずこのながい槍をかいくぐって近づかなければならない。このためマセドニアは相手を草でもかるように、戦車が相手を蹴ちらすようにすすめた。これは編隊の中央をしめる重装歩兵隊があつかった。このためマセドニアの密集編隊の終局の目標は相手を押しこみ一定の距離にとどめることだった。これはマセドニア軍の不敗の戦線となった。もし戦いが接近戦にうつったとしても、彼らは対応策をもってた。非常にたくみに相手の前線からの攻撃にたえ、時にはその前線を切りさいた。

* えらばれた重装歩兵隊
次に有力な戦力はヒパスパスト、えらばれた重装歩兵である。彼らは盾をもちドリスとおなじような槍をもってた。彼らは重装歩兵の両翼をしめた。重装歩兵の方向転換は容易でない。そのため側面攻撃を保護するおおきな役割をもってた。ヒダスペスの保護は騎馬兵と軽装歩兵がおこなった。ギリシャの歩兵編隊は横からの攻撃に弱点があったので、このような編隊で横からの攻撃をふせいだ。繰りかえすがこうしてヒダスペスは密集編隊の主要部隊である重装歩兵の前線が攻撃に専念できるようはたらいた。彼らはこれで実質的に不敗の部隊となった。ただ、ヒダスペスの機能や武器については色々な意見があることを付記しておく。しかしヒダスペスがフィリップの部隊において不可欠な部隊であることは間違いない。

* コンパニオン騎馬兵
最後にコンパニオン騎馬兵についである。彼らは最良の馬にのり最良の武器をつかった。コンパニオン部隊はおもに上流層の市民から編成されてた。つまり彼らはそこに必要とする馬や武器の費用をまかなう余裕がある人々だった。通常は騎馬隊は八の部隊にわかれ、それぞれがほぼ三百の馬をもつ。コンパニオンは通常、楔形の形で攻撃する。おおくの場合、騎馬隊が最初に攻撃しショックをあたえるものだった。後年、アレクサンダー大王は彼みずからがこの部隊を引きい、相手の部隊に決定的打撃をあたえた。マセドニアの編隊では彼らは最右翼、ヒダスペスヒダスペスの右をしめた。おどろくような短期間でフィリップは古代の世界ではもっともすぐれた部隊を作りあげた。

* ダルダニアンへの攻略
紀元前三五八年までに軍隊の再編をおえて活動できるようにした。彼はマセドニアにはもっとも危険な存在存在をを取りのぞく決意をかためた。それはダルダニアンだった。ダルダニアンは当初、マセドニアの北部にいた。それが西部の山岳地帯の上部マセドニアに進出してきた。ここは外国勢力をさえぎる境界として機能してきたものだった。フィリップが対応しなければならない問題だった。ダルダニアンがここを占拠してる限り、永遠に脅威はさらない。すでにのべたが彼らを掃討してその脅威を消滅させる決意をかためてた。その意図をバーダラスは察知して、現状を維持する条約を提案してきた。フィリップはただちに提案を拒否し、ダルダニアンの軍はこの上部マセドニアから退去しなければならないといった。

* 両軍の編隊
バーダラスもただちにこれを拒否した。両者は戦争にむかうこととなった。両者の戦力は拮抗していた。フィリップは一万の歩兵、六百の騎馬兵。バーダラスは一万の歩兵、五百の騎馬兵である。ダルダニアンは横一線の編隊、両翼に騎馬兵を配置した。おそらく最良の兵を中央に配置した。フィリップもおなじように中央の左に重装歩兵を配置、騎馬兵を両翼に配置した。フィリップはいつものように名誉の右翼をしめた。そこに最強の兵がいた。右翼にヒダスペスを配置した。彼は重装歩兵がダルダニアンの中央に対抗し、ヒダスペスが相手の左翼に突入することを期待してた。

* 戦いの開始
角笛がならされて両軍は前進した。はげしい戦いがはじまった。戦いはどちらが有利ともいえないままにつづいた。だがじょじょに、また着実にフィリップのヒダスペスの部隊がダルダニアンの左翼に侵入していった。ダルダニアンの左翼はおされ後退し、ささえきれなくなった。コンパニオンの騎馬隊の右翼での攻撃も成功していった。このためダルダニアンの編隊が切りさかれた。ダルダニアンの左翼は士気をうしない、戦場から逃げだした。それをみた他の兵たちもおそれおののいて逃げだした。

* フィリップの完勝
フィリップの完勝だった。ダルダニアンは半分の兵力をうしなった。五千の死者、千の捕虜をだした。マセドニアは三百から二百の死者だった。これで完全にダルダニアンの脅威はさった。さらにダルダニアンが占領していた都市を回復した。さらに重要なことはマセドニア西部の状況を有利にすることができた。リリアンのオレド湖にいたる地域を自国領に編入した。これにより国境の安定を確保できた。ここは自然の国境地帯となるとともに、将来の攻撃にそなえた緩衝地帯となった。

フィリップの遠大な征服計画はまだ姿をあらわさない。次にフィリップは北部のギリシャの統一を目ざしてゆくが、それは次のビデオでのべる。


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財務省設置法は憲法違反か



* はじめに
経済の専門家、藤井聡氏の面白い発言をユーチューブで見つけた。健全財政を目的と規定する財務省設置法は憲法十三条違反ではという。その理由である。

* 財務省は各省とくらべ異様な規定
まず憲法十三条だが、国民に幸福追及の権利をみとめ、政府に最大限尊重の義務をかした。各省だが、厚労省なら、国民の健康とか労働者の権利の増進。国土交通省なら国民生活の向上に役だつ国土開発、交通網の整備といった、憲法十三条におうじた目的が規定。ところが財務省だけが健全な財政を確保することを任務としてる。

これは政府財政の健全性を心配してるが国民の財布の健全性はぬけてる。どんどん増税すれば政府は健全となり国民の財布はカラっぽになる。

* 真面目な財務省役人
私は内閣参与として六年間、国土強靱化、それに必要な財政出動をうったえてきた。だが政府は閣議決定のプライマリ・バランスを死守し健全化を押しすすめてきた。財務省の役人は私の意見をいっこう聞きいれなかった。プライマリ・バランスのせいとおもってたが、やっと設置法だったと気づいた次第だ。役人は真面目に任務をはたしてた。役人がわるいとおもってた私の態度をあらためたい。法律がわるい。

* 健全化規定の理由
この規定の理由は何だろうか。私はGHQのたくらみとおもってる。関連の規定に財政法四条がある。国債発行はだめとかいって健全化をもとめてる。法律の専門家のいうところによれば終戦後、GHQが将来の軍事大国化をおそれ導入させた。その経緯があきらかとなってるという。財政主権の侵害、国の独立をうばうような規定である。すみやかにこの改正を国会で議論するようもとめたい。さて結論である。

* 結論
賛成である。国会で活発な議論を期待する。経済運営で財政健全化だけが国の目標でない。これに国民の理解がふかまればよい。だが、ここからすこしからい話しをする。これにより政府が積極的財政にてんじるというのは過大な期待である。その根拠である。

@@ul:一 設置法は憲法違反でない。
規定があってもなくても、もともと各省に幸福追及権尊重の義務がある。健全財政規定はこの義務を否定してない。また法案提出に際して内閣法制局が違反かどうか審査してる。

@@ul:二 改正されても方針変更とはかぎらない。
国民には借金をふやすことに根深い不安がある。だからこそ政治家はうごかず、役人もそれをしってるから、かえようとしない。

@@ul:三 でも、やれることはやったほうがよい。
過大な期待は禁物だが、やれることはやる。政府だけが健全化し国民生活が貧困となる危険性、多様な政策の可能性を国民がしることに期待したい。三橋貴明氏、高橋洋一氏、上念司氏がいうように、世界標準であるインフレ目標による経済運営、その実情、日銀の国債買取、政府日銀による統合政府の考えの理解がふかまり、適正な財政出動が実現することを期待したい。

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蔡英文総統が日本に安保対話をもとめる



* はじめに
衝撃のニュースが飛びこんできた。台湾の蔡英文総統が日本に安全保障対話をもとめた。これは産経のインタビュー時の発言。安保対話、サイバー攻撃、中国軍の即時情報の共有などをあげてる。さっそくネットで取りあげられたが、軍事専門家の井上和彦氏が米国の戦略について解説する。

* 米国の防衛線
アリューシャン列島、日本列島、沖縄、台湾が米国の防衛線である。ここをぬかれると、あとはグアムとハワイ。点でしか対抗できない。すぐに西海岸にせまる。日本には基地がいくつかあり、もし朝鮮半島有事にはそこからすぐに軍事力を投入できる。台湾も要衝の地である。

また米国の考えを解説してくれる。この防衛線からみれば朝鮮半島は異質、朝鮮戦争という出来事があったがため米軍が駐留してる今がある(そうおもってる)。

日本は台湾と国交がないが人的、経済的関係は濃密、修学旅行ではたしか人気第一位。蔡総統は代表をおりると言明してる。その前の一仕事として、よくぞいってくれたとおもう。国際政治の藤井厳喜氏の言葉である。

* これからは日米韓でなく日米台で
韓国の文在寅大統領の反日、従北発言の数々、もはや韓国はたのむにたらず。これからはむしろ日米台である。中国は全人代でGDPがをさげるが軍事費は7.5%増、台湾の独立の断固阻止といってる。

米国は。台湾関係法施行四十周年、超党派でお祝いに閣僚級をおくろうとしてる。また台湾にはすでに実質的大使館がある。その警備には海兵隊。つまり台湾を攻撃したら米軍がでてくる。

日本だが、自衛隊OBが訪問し台湾の現役と話しあってる。政治的にみると安倍首相の弟、衆議院議員、岸信夫氏が台湾関係を引きうけてる。これまでに蓄積がある。関係強化がのぞましい。

台湾関係法があったので台湾への武器供与も可能だった。中国が台湾の選挙妨害にミサイルを打ちこんできた時に米国は空母をおくっておさえた。日本も台湾関係法のようなものをつくり関係を強化してほしい。さて結論である。

* 結論
トランプ大統領は就任に際し蔡英文総統に電話した。彼の台湾重視は本物だ。沖縄の玉城知事は反対で実質的に日本の安全保障をあやうくしてる。上記の話しのなかで、在韓米軍を台湾に移動させる話しがでた。またボルトン補佐官はかって沖縄基地負担軽減にふれ米軍の台湾への移転を提言した。このように台湾との協力強化は沖縄問題の軽減にもつながる。どうですか国民の皆さん、衆知をあつめて問題の解決をはかる。日本らしいやり方とおもいませんか。


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簡略ギリシャ歴史、マセドニアの興隆1


* はじめに
(Ancient Greek History - Rise of Macedon Part 1 - 45、Historyden、2017/10/22 に公開)。 注) マセドンとは、現代におけるマセドニア、ギリシャ、ブルガリアのそれぞれ一部からなる地域で、古代の王国。

* 疲弊する南部都市国家
これまでギリシャの南の都市国家をあつかってきたが、これから北のマセドンを説明する。すでに説明したように絶え間のない争いで南ではスパルタ、シーブス、アテネが国力を損耗していった。これは特に、紀元前三六二年、マンテニアの戦い以降に顕著となった。アテネは従前の栄光の再構築をはたした。モンテニアの戦い以降ではもっとも重要な都市国家となった。だがそこにマセドンが登場し、ギリシャの覇権をねらう国となった。

* マセドンの台頭
この後、二十年の活動はおおきかった。フィリップが王位についた紀元前三五九年から紀元前三三〇年の間、ギリシャ都市国家の独立が崩壊していった。マセドンの体制はそれまでの都市国家にぞくしてない。フィリップはこの独立をのぞまなかった。独立と外交の自由は都市国家におい必須である。フィリップが南の都市国家を侵略することにより独立と外交がおびやかされた。その抵抗の中心にいたのがアテネだった。アテネは防御壁を回復し、艦船を再建していた。主要な覇権国だった。

* マセドンはギリシャといえるか、二つの理由
さてマセドンをギリシャとみるか、否定する議論は次のようである。まず、都市国家の仕組みである。これまでものべたがマセドンは都市国家の仕組みをもたなかった。これは南において確立してた。そのため彼らは北部を半野蛮国とみなしてた。マセドンをふくむ北のおおくが都市国家の仕組みをもたなかった。そこには王がいた。宮廷があり服従する臣民もいた。おおくの部族があり、それを支配する貴族たちもいた。彼らは時に王に忠実であり、また時に王から完全に独立した存在ともなった。フィリップはこれらの部族を統一し、彼らから絶対忠誠を勝ちとった。それは以前の王がけっしてもつことができなかったものだった。おおくの点でマセドンの王は中世の封建君主だった。もう一つである。

地理的条件である。マセドンやほかの部族は山岳地帯にすんでた。そのため地中海の文明からとおく切りはなされてた。そのため文明化した文化にふれる機会がすくなかった。南部のギリシャ人が享受してたものだった。だがこのような事情にもかかわらずマセドンは自分自身のことをギリシャ人とかんがえてた。

* マセドニア人、自分自身をギリシャ人
特に、フィリップとアレクサンダー大王の時代はそうである。さらにギリシャ語をはなした。おおくの歴史家はマセドンをギリシャとかんがえてる。それではマセドンの歴史をフィリップにいたるまでのべる。

* マセドンの歴史
初期のマセドンの歴史についてはよくわからない。おそらく、スメアプ湾北岸への大量の移民が発生した。南部ギリシャにおいては北より混乱がはげしかった。国境線が頻繁に変更された。同盟の形成と崩壊、戦争と絶え間のない裏切りと暗殺がおきた。マセドンではいくつかの有力部族の争いがあった。

そのためいつも王の座をめぐってはげしい争いが繰りひろげられた。そのため王の座についた者は有力者を追放する必要があった。政争に犠牲者がいつもでた。マセドンにおいて王は王位につく正当性とその座を維持するだけの力をもってることが必須とかんがえられてた。実際、フィリップは王位についた後にも有力者を追放してる。およそ紀元前七〇〇年から紀元前三一〇年の間、彼らはアジアの王権やギリシャの支配の下にあった。

* 王の系譜
最初の王は神話の世界にはいるが、アミンテスは歴史上の王である。紀元前五四七年から四九八年まで統治した。この時代にペルシアと接触した。彼はペルシアとあらそわないこととし、臣従の印の土と水を差しだした。その後、ペルシアにしたがうところとなった。これが紀元前五一四年からマラソンの戦いまで、ぼ二十五年間つづいた。この戦いは四九〇年である。ペルシア戦争の間はマセドンはペルシアにしたがった。それは次の十年以上もつづいた。だがマセドンはペルシアにしたがいながらも、相当程度の自治をたもってたこと注意しておく。

* ペルシア戦争時のマセドンの王たち
次はアレクサンダー一世である。彼はギリシャ・ペルシア戦争の前に王位につき戦争中も王位をたもった。戦争が勃発するすこし前にマセドンはそれまでみとめられてた自治を完全にうしないペルシアに臣従した。アレクサンダーはサラミスの海戦の敗北の後、紀元前四八〇年、ペルシアを代理して和平交渉にあたった。臣従していたが彼は南のギリシャの諸都市をたすけもした。紀元前四七九年、プラティアの戦いについてペルシアの攻撃を事前にしらせた。プラティアでやぶれ退却するペルシアに攻撃をくわえ千名をころした。ギリシャ・ペルシア戦争の後に完全にペルシアとの臣従関係をたった。彼は紀元前四五四年にしんだ。その死後、王国は混乱におち、おおくのマセドンの部族たちは独立した。そしてアルシイタス二世が王位をついだ。

* ペルシア戦争後の王たち
彼の統治は六年間だけだった。彼の従兄弟、アカレイアスに暗殺された。暗殺はマセドンの宮廷では普通におこることだった。アカレイアスのわかい兄弟、ペルディカスが王位をついだ。この時代にはアテネの覇権がおおいに拡大した。アテネは北に進出しスメア湾の地域を完全に掌握した。紀元前四三七年、北方における貿易の中心、主要都市としてアンティポリスをつくった。これはマセドンの脅威となった。これでアテネの海上覇権の抑止が困難となり、マセドンとの間に時々、争いがおきた。

* アテネとの争い
紀元前四三四年、ペルディカスのわかい兄弟、フィリップが王位をねらって画策した。アテネはフィリップをたすけることとした。ペルディカスはアテネに朝貢してるいくつかの都市に謀反をそそのかした。アテネは艦船をおくりピッドナに城攻めをかけた。そこでアテネの宿敵、コリンスが注意をそらすためにパディデアに攻撃を仕かけた。アテネはマセドンとの戦いをおわらせるためにペルディカスと同盟をむすんだ。そのうえでパディデアに進軍した。これはペルディカスの賢明な譲歩であった。彼はすぐにアテネと条約をむすんだ。そしてパディデアに援軍をおくった。アテネはパディデアで勝利した。この出来事はペロポネソス戦争においてスパルタをたすけることとなった。

* ペロポネソス戦争にかかわる王たち
ペルディカスはペロポネソス戦争でアテネをたすけることとした。この結果、アテネはフィリップ反乱の支援をやめた。フィリップは最終的にとらえられた。ところでペルディカスはアテネにとっては非常に頼りにならない同盟国だった。紀元前四二四年、彼はスパルタのブラスディスの味方についた。スパルタがアンティポリスを奪取するのをたたすけた。ここはアテネの在外の要衝の地であった。おおくの富をアテネにもたらしアテネの艦船を構築、修理する材木を提供する場所であった。しかしスパルタとペルディカスの仲がすぐ悪化しペルディカスはまたアテネと同盟関係にはいった。紀元前四二三年のことだった。この期、その死にいたるまで彼は何度も同盟関係をかかえた。紀元前四一三年、彼がしにアカレイアスは数人の対抗者をころして王位についた。そのおなじ年にアテネはシシリーのおいて壊滅的な敗北をきっし、すべの艦船をうしなった。

この敗北後、アテネは壊滅した艦船を再建するため材木を必要とした。アカレイアスはこれをたすけアテネに大量の材木を提供した。これにより莫大な資金えてアカレイアスは野心的な社会インフラの整備をすすめた。道路の拡張、整備をおこなった。さらにパラにおいて宮廷を建築した。紀元前三九九年、狩猟にでた彼は暗殺された。その後、十年間、政情不安と宮廷の混乱がつづいた。オレスタス、暗殺された息子の父だが彼が王位を継承した。彼は息子のイーロパス二世のたすけをえて共同で宮廷を支配した。紀元前三九六年のことだった。その後の一年間、紀元前三九五年にはイーロパスが単独で宮廷を支配した。アカレイアス二世が父のイーロパスをついだがその統治はながくつづかなかった。

* 混乱のなかの王たち
その死はおそらく暗殺だったろう。その息子、アミンテス三世がその後継になろうとした。彼はオリンテスのチェルシアン同盟にはいった。その交換にアミンテスはマセドンの材木を提供した。これはアテネにおくられ艦船をつくることとなったが彼の統治の時代にあたらしい脅威が登場した。紀元前三九三年、ダルダニアンの王、バーダラスがマセドンに侵入した。彼はあたらしい戦法によりアミンテスを戦場にやぶって彼を追放した。

バーダラスはそこに傀儡の王をたてた。紀元前三九二年アミンテス三世はテッサリと同盟し、マセドンをダルダニアンから回復した。しかしダルダニアンはつねに北部と西部に侵入を繰りかえし紀元前三七二年までつづいた。このためマセドンはダルダニアンに貢納金をはらってた。アミンテスには三人の息子がいた。アレクサンダー二世、ペルディカス二世、フィリップ二世である。紀元前三七一年、最年長のアレクサンダー二世が王位についた。ただちに北西部にダルダニアンの侵攻をうけた。東部のプリテンダにポセニアスという名前の人物の侵入をうけた。彼はただちにいくつかの都市をうばい、パラの宮廷にいた女王の母をおどした。そこにはわかい息子たちもいた。

アレクサンダーはアテネの将軍フィクラテスの助けをえてこれをやぶった。彼はアンティポリスを奪回しようとマセドンの沿岸を航行していた。勝利はながくつづかなかった。アレクサンダーはお祭りの最中に暗殺された。これはかれの野心的な義理の兄弟、プトレミによるものだった。

ペルディカス三世が王位を継承しようとした。プトレミも王位継承をねらったが失敗した。しかしペルディカスは支配をおこなうにはわかすぎた。そのためプトレミは彼の摂政となった。これは一種の妥協である。これはたぶんシーブスに追放されてそこにいたフィリップに関係があったのだろう。フィリップはここですぐれた軍事の教育をうけてた。

* フィリップの登場まで
ペルディカス三世が成年にたっした時に彼はただちにプトレミを死罪にしマセドンの完全な支配を回復した。彼は北部における支配を回復するためダルダニアンを攻撃した。紀元前三五九年の春に北部にすすみバーダラスと対峙した。マセドンは千人の軍をうしない完全に無力化された。

バーダラスは南下し、アウレド湖にいたった。西部は上部マセドンにまで勢力を拡大した。こうして彼はマセドンをほとんど消滅させた。おおくの歴史家は彼がもっとふかく侵攻しなかったことを批判した。マセドンの軍がほとんど崩壊してた。ペルディカスも戦いでバーダラスによりころされた。だがこれはフィリップ二世が王位をねらう道をひらいたことでもある。これは次のビデオで説明する。


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習主席への上海株忖度


* はじめに
中国にくわしい妙佛(みょうほう)氏が上海株の上昇についてユーチューブでかたる。今月までに上海株が急騰した。英字紙の世界でもおおきく取りあげられてるという。これはどうしてか。昨年まで株が下落してたが、ここにきて底値感がでてきた。そこに政府がやんわりと株投資をすすめてきた。証券会社や年金基金にである。これまできびしく規制されてたレバレッジ、借金して株をかう、これがゆるんだらしい。証券会社から個人投資家に電話がかかってくる。十倍までかす。これは違法だという。このため小金をかかえた個人投資家がチャンスと走りだした。若い人も借金して投資するらしい。大丈夫か。彼がいう。

* 急騰してから買うのか
これは壮大な仕掛けだ。ここまで上がってまだ上がるか。とっくに金持ちはかってる。個人投資家はそれをかわされるだけ。不安心理は皆おなじ。誰かがあぶないと売りにはしれば、たちまち暴落するのに、という。ところが中国人の心理には、こんな時こそチャンスともいう。また、何度も米中貿易戦争に合意が成立する。そうすれば景気は回復してまた株があがってゆく。そんな情報がしきりにながれる。だが彼は危険といってる。

* 専門家、丸三証券の安達誠司氏の解説
安達氏はいう。結論は暴落する危険がたかい。対談相手の上念司氏も同意。二〇一四年に香港の専門家から、中国株があがるとすすめられた。まさかとおもって手をださなかったが二〇一五年の夏に2000から5000まであがった。だが予想どおり暴落した。この年と二〇一六年はこのショックで実はマイナス成長とおもう。二〇一七年に回復したが二〇一八年にまたマイナスだったという。こんな話しをうけ安達氏が中国政府を解説するう。

* 中国政府の対策
中国政府は引き締めから社会融資の拡大にてんじた。その金がどこにながれたかである。鉄鋼などの国営企業。従来、重長厚大からハイテクといってたのに見事なまでの逆構造改革である。銀行に金をかせと指示してる。生産量がふえるが製品価格はさがった。鉄鉱石がうれた豪州はウハウハだという。これにたいし民間の中小企業は塗炭の苦しみだ。またこの金が不動産や株にながれる。こんなことがうまくゆくはずないが目先のことにおわれてるらしい。中長期の話しである。

* 長期の見通し
長期にみれば中国は人口構造の高齢化が急速にすすむ。日本は老齢化率で追いぬかれる。去年たぶん高所得国になったとおもうが、おとろえてゆく。その前にもどるというよりジャンプして駄目になる。中長期、短期でみて全部駄目だという。中国は長期的に衰退してゆくとのシナリオがあったが、崩壊に。世界はそれにそなえなければいけない状況になりそうだ。さて結論である。

* 結論
どうやら私は中国崩壊を目の前にしそうだ。二〇一五年夏の上海株暴落は私のブログにもかいたが、六月十二日(金)に最高値をつけ、翌週月曜日は習近平主席の誕生日、皆んなは素晴しい贈り物を期待したが暴落の始まりだった。今回は日本の国会のようなもの、全人代がひらかれてる。役人たちは首席を忖度して盛りあげようとしたのかも。また、これからどんなイベントがまってるのだろうか。皆さん、心して見まもりましょう。

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中華民生投資集団のデフォルト



* はじめに
トランプ大統領が交渉期限を延期して関税25%を猶予した。これで株価がうごいた。米中がどうなるかはまだ予断はゆるさないが当面の緊張がゆるんだ。ところで中国専門家の福島香織氏がユーチューブで重大事項を説明してる。中華民生投資集団の社債がデフォルトとなった。衝撃であるという。さっそくその話し。

* 中民投は二〇一四年に誕生した民営ファンド
二〇一四年に中華民生投資集団(中民投)が五十九の中国巨大企業から2%の出資をえて創設。これを中国ほぼ惟一の商工会が推薦、国務院も後援。当初は三百億元の資本規模で発足、たちまち三千百億元となった。目的は過剰生産、企業乱立の業界で企業を整理、統合、発展させるものだった。そこでやったのが太陽光パネル、鉄鋼、船舶分野への投資。国の後援もある優良民営ファンド。期待をになってさかんに投資活動。秒速でかせぐと評判をとった。ところが二〇一八年夏におかしくなった。総裁がかわり体制もかえやってたが、今年の一月二十九日に償還日をむかえる社債がかえせない。当初技術的問題といってたが、電話を受けつけない、口座も凍結。春節明けにとうとうかえせない。となった。中国に衝撃がはしった。

中国ではもはやデフォルトはめずらしない。だがこれは巨大企業が出資、国務院肝いり、まさかこんなことがとなった。何故かえせなくなったのか。やがてきこえてきた。中国の西部、沙漠の地域、寧夏で世界最大規模の太陽光発電プロジェクトを発足させた。たしか二〇一五年。発電量がギガワット、通常の十から二十倍規模。百億元をこえる投資。こんな沙漠の真ん中で誰がつかうのかという状況。ところで中国の企業は日本にくらべはるかに政府より。習近平さんはエコがすき、当時はどんどんやれだったからのめりこんだ。ところが二〇一八年に突然政府が方針変更。

* 阿鼻叫喚の太陽光パネル業界
二十数本の通達をだした。これは発電規模の上限をさだめるなどだが、そこに実質、すべてのプロジェクトはいったん停止というのがあった。これが太陽光パネル業界を地獄にたたきおとした。政府はそれまでだしてた補助金を打ちきった。中民投の投資はこれだけでないたしか九分野に投資してる。ここでおなじく中国専門家の宮崎正弘氏のつっこみ。利回りは。ううん。たしか8%でなく10%じゃないか。それではとてもかえせないと福島氏。はじめからその気がない、という言葉まででた。これからである。

* デフォルトをだして中民投のこれから
若手の総裁が頑張つてる。とりあえず延期をみとめてくれ、元本だけはかえすという。三千百億元の資本で八百億元の純資産がのこる。流動性が回復すれば。だからそれまでと。何をやってるかというと、健全な投資案件、土地開発プロジェクトを上海国有資産管理委員会の後ろ盾のある不動産会社にうった。この他、うれるものは何でもうる。日本をふくめ外国の投資家にも鋭意接触してる。これは16N006という社債だった。ここからだんだんと、こわい話しに。

* 社債のこわい話しである
社債には国有企業、民間企業、地方政府が土地開発でプラットホームをつくり発行する社債、さらにデフォルトをおこした社債をもとに発行するワラント債もある。総額が六兆元とか。これらの償還の問題だが、二〇一九年もひどいが、さらにもっとひどくなり二〇二一年にピークをむかえるという。さて金融危機の話し。

* ブラツク・スワンとグレイ・リノの話し
ブラツク・スワンとグレイ・リノの話しだが、黒い白鳥はいない。これはリーマン・ショックのように全然予測してなかったものが突然出現、金融危機を引きおこすもの。ところが次の灰色の犀。これはいるが普段はおとなしく目だたたない。だがいったんあばれだすと群をなす。誰もとめられない。つまり社債の崩壊は灰色の犀だったという。この言葉はジョージ・ソロスのようなお金持ちがあつまるスイスのダボス会議で作家でジャーナリストの誰かがいって定着したもの。たしか二〇一三年。これだけでも充分こわいがまだつづく。

* 不動産のこわい話しである
さっきの社債総額が六兆元、うち不動産関係が四千八百億元。それほどでないようだが土地はリスクがたかい。これはもうどうしようもないとおもわれてる。ここで宮崎正弘氏のつっこみがはいる。

政府はまた新幹線を五万キロ延伸すると(すでに三万キロ整備した。たしか日本は千キロのはず)。そうしないとお金がまわらない。トランプ大統領の猶予で株式市場がすこしゆるんだ。政府が景気刺激にはしるとの期待がでてる。それでまた土地にという。福島氏がいう。すると李克強首相が、いや金融引き締めはやめてないとあわてていいだす。もう混乱の極地。人民大学の向松祚教授が講演で不動産バブルの話しをする。現在、売り出し中の不動産の総額だが延床面積から推計、なんと六十兆ドル。これは世界のGDPが七十兆ドルだからとんでもない額。不動産が株式市場をささえ個人の資産をささえてる。 バブルが崩壊したらどうなる。今年は灰色の犀、社債、不動産があばれまわる年となるかも。さて感想である。

* 感想
中国はリーマン・ショック、二〇〇九年からたしか四兆元の財政支出をしていち早く不況から脱出したという。そして今にいたるが、その現状が巨大な灰色の犀の出現となった。野放図な経済政策の結果である。けっきょく文化大革命のような大混乱に落ちいるのか、とおもう。経済の法則、世界の秩序を無視した結果、こうなるのか。また来た道にもどってきた。結論である。

* 結論
中国の不幸は中国にお願いする。日本は巻きこまれないよう、できるだけ影響のないようにお願いする。中国の人々の苦しみを他人事のようにいうのはいやだが、そうねがわざるをえない。国民の皆さんどう思いますか。


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