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ケーガンギ歴、アテネの民主主義(16、3の1)



* 概要
私はここでアテネの民主主義の最盛期の姿を説明する。それはエフィオルテスの死、ペリクリースが改革、この後にできたものである。我々が立法機関とよぶものと、それより重要性がおちるが行政機関とよぶものにつき説明する。その後に我々が司法機関とよぶものを説明する。このアテネの司法機関は現代の目からみるとより奇妙にみえる。毎年、六千人もの陪審員(jury)の表をつくり裁判にのぞむものである。
(16. Athenian Democracy (cont.)、2008/11/20 に公開、Yale Couses)

* 司法機関
ある日のこと、割り振りにより指定された陪審員がある特定の裁判所の特定の裁判にのぞむ。通常の人数は五百一人だが裁判のよっては五十一人であったり千五百一人だったりする。公的か私人間のもの、重要性などにより判断する。

* 陪審員の指名
賄賂や不公平性をさけるため、アテネ人はその指名について極めて複雑なものを作りだした。これで不正を予防しようとしたのだ。アリストートルのアテネの政体(Constitution of the Athens)、その六一章にある。それをよむと複雑さがわかる。彼らはこれでは誰が陪審員となるかがわからず、賄賂がおくれない。それでもやるなら六千人におくることになる。そうかんがえたようだ。そのやりかたは現代のアメリカとおおいにちがう。

* 検察官、弁護士がいない
まず検察官がいない。弁護士のような代理人、法律家がいない。シェイクスピアがよろこびそうな状況である。民事、刑事、公的、私的な問題、大規模あるいは小規模な事案、これらが裁判の事案として受けつけられ私人により審議される。原告(plaintiff)と被告(defendant)、告訴人(suer)と被告訴人(sued)が彼ら自身の声で裁判をあらそう。

* 代言人の活躍
自分の声、自分の言葉でできないならそれをたすけ、その裁判の準備するる代言人をやとうことができる。この仕事はアテネでおおいにはやった。それはペリクリースの時代より後のことだが、有名な裁判の代言人の発言は保存された。その最善のものは紀元前四世紀以降である。

* 判事がいない
次におどろくことである。判事がいない。陪審がすべてである。自尊心のつよいアテネの民主主義者たちはこんな個人の介入をみとめない。彼がどれほど能力があっても、何が重要な証拠であり、またそうでないか。何が適用すべき法か、どのような手続を適用すべきかを差配する人物をみとめない。アテネの観点ではこれは学問や専門性を重要視しすぎてるとおもわれた。それは不正をうみ、非民主主義的偏りをうむとかんがえた。それは誰が判事となるかわかれば陪審員の時とおなじように賄賂の可能性がうまれる我々の社会でかんがえれば判事が賄賂を受けとることはないわけでない。それをさておいても判事が片よってることがないわけでない。The Athenians would have no of that .それで それは関係する法と前例を引用する異議申し立てや、原告と被告のどちらを採用するかをきめる陪審員にまかせるのである。

* 正義と公平の考え
正義と公平さを執行するうえでアテネの民主主義者たちは専門性にほとんど信頼をおいてない。これが民主主義政治におけるもっとも民主主義的特徴である。そこにはすべての人は充分な判断力をもってる。あるいはそれがなんであるかはともかく裁判に重要な判断能力をもってる。それを前提にし、裁判の場においては原告と被告は裁判に必要な陳述の機会があり、反論し、関係する法を提示し、証人をだし、最後にその主張をまとめるのである。

* 裁判の水時計
またアメリカの目からおどろくことである。一つの公判にはさだめられた時間がある。そのための役人がいて水時計ではかる。どれも一日で結審する。最後に陪審員が判断する。判事がいないから当然、彼らは何を検討すべきだという指導、どんな可能性があるかなどの指導もない。陪審員たちは議論しない。
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* 投票で判決
もしかしたらいそうだが、千五百一人ものいかれる男たち、彼らはいない。彼らは単純に秘密投票をし、単純過半数で判決をきめる。罰が必要な場合で、法に規定されてない場合、あるいはほとんど規定されてない場合もあるが、次のようにする。勝訴した原告だが、彼は罰を提案する。ところが被告には対案提出の機会がある。ここで陪審員が議論なしで表決する。陪審員が彼らの案を提出することおはない。あらたに罰をつくることもできない。どちらかの案を選択するだけである。

* 罰のあたえかた
通常は罰はよりおだやかのものが選択される。というのは陪審員は非合理な案をさけるからである。原告が重罰を主張したら、陪審員は相手の罰を選択する。反対のやりとりでもおなじ結末となる。これを批判する意見がある。それではなんでも訴訟に持ちこみたいアテネ人をつくる。アテネ人は訴訟好きかもしれない。だが、この仕組みのなかに工夫がある。

* 訴訟の抑制
根拠のない、合理的でない、おかしな、あるいは無茶な訴えをへらすものである。原告はさだめられた割合の陪審員数の表決がえられなかったら相当量の罰金をはらはねばならない。政府への訴えは政府に、私人間の訴えは被告にはらうものである。たしかに効果があるとおもう。現代の我々の仕組みでも役だちそうだ。たとえば敗訴した原告あるいは被告につき判決で訴訟費用の支払いをめいじることができる。これは馬鹿げた訴訟を防止する仕組みでもある。だがこれはアテネほど徹底してない。あなたが陪審員におおくの賛意をえられなければ、訴訟の費用がかかることになる。

* この裁判の欠陥
アテネのこの裁判にはおおくの欠点がある。先例にしたがわないから判決は奇妙であったり、予測困難なものになる。陪審員は偏見をもってるかもしれない。また陪審員は被告、原告にたいし彼ら自身の知的能力、知識でしか判断できない。彼らは法を不正確に適用する。事件の経緯をゆがめる。我々は法廷において彼らの演説をきかされる。彼らは誰もしらない法を作りあげたりする。また、意味不明の議論を展開したりする。彼らはこの機会を悪用したりする。証拠や関連性にもとづくゆがみのない陳述もあろうが、適切な判事の指導がなく、それが実現するというのは夢物語、出鱈目、空理空論であろう。

* 代言人の主張
アテネの有名な演説家の逸話がある。これは五世紀末から四世紀にいたリシアス(Lysias)の話しである。彼は裁判で代言人として活躍した。ある人がやってきて裁判に巻きこまれた、報酬をはらうから裁判での主張の演説をかいてくれといった。彼は承知した。それで裁判はうまくゆくといった。彼は原稿をわたした。すばらしい演説だとほめた。これでまけるわけないといった。リシアスのドアが再度たたかれた。その男だった。彼は演説を再読した。自分が間違ってるかもしれないが、この論理はひどい。矛盾、飛躍がある。リシアスがいった。落ちつきなさい。陪審員は演説を一度きくだけだといった。

もちろん、論理の欠陥はのこったままでも、現代の目からみてアテネのやりかたはかなりの魅力がある。アメリカの司法制度は批判されるところがある。過大な技術的要件、理解困難な複雑さがある。それは法律家や判事が中心的役割をはたすことからくる。これはまた、司法制度でたたかうために費用がかかり、金持ちが圧倒的に有利となる状況をうんでいる。

* 米国司法の批判
根拠のない訴訟事案を抑止する措置が充分でないので裁判で公判日程が一杯になってしまう。アテネでは陪審員選びに時間をかけないが、ここではかかってしまう。法律上の技術的問題がさらに時間をかけさす。公判処理に時間制限がない。公判がはじまるまで何年もかかる。時には、原告がはじまる前に死亡してることがある。

裁判をうける人々の権利をまもるためにいろいろな配慮がなされてるが、それは手続をどんどん複雑にする。それが裁判に遅れをうむが、誰もがそれを妥当とかんじてるわけではない。時間がかかりすぎると正義のおくれは正義の否定につながる。判事がしめす判決は非常に複雑で、直接的でないので普通の市民には理解しがたものとなってる。

* 市民目線のアテネ
結果、判事や法律家への批判がおおい。また司法制度への信頼もうしなわせてる。これをみれば、アテネの仕組みは短銃、迅速、市民の誰にもひらかれ、理解しやすいものとなってる。そこにはおだやかな罰をうながす仕組みや、不合理な無駄を抑止する仕組みがある。そこには市民と法のあいだを邪魔する技術的問題や法律の専門家による障壁がない。普通のアテネ市民の常識を前提にした仕組みである。全体としてみて、アテネの民主主義の仕組みはペリクリースの時代に最高となったが、すぐに民主主義に反対する当時の人々のきびしい批判にさらされた。

* アテネ民主主義の批判
のこされた文献から、何世紀ものあいだアテネ人を解釈する人々がいる。彼らは民主主義につききびしい結論をだしてる。古代の著作家の攻撃は大衆で構成された会議が政府をうごかす、あるいは公職者を籤引きでえらぶという考えにむけられてる。アテネ、スパルタ、ペルシアと渡りあるいた変節漢、アルソバイアデス(Alcibiades)はスパルタで民主主義につき何もいうべきことがない。馬鹿者のいうことといった。プラトン(Plato)はソクラテス(Socrates)をとおしてもっと完璧に、辛辣に評価してる。

* プラトンの批判
それは家をたてる、あるいは船を建造するようなもの。その時にアテネの議会は専門家のいうことしかきかない。もし専門の能力をもたない人がそんなことに忠告しようとしたら、たとえ彼が非常な美男子で金持ちで、かつ貴族であっても彼らは耳をかたむけない。そして彼を笑い者にしたり、怒鳴りつける。罵倒で意気消沈させたり、提案を取りやめさせたり、武装した兵士に彼を引きはがさせたり、あるいは議長の退場命令で退去させたりするまで、つづける。あなたもアテネ議会に登場し発言することを想像してください。そこで何がおきるかわからない。

* ソクラテスの批判
ソクラテスがいう。議論が国のことだったら、誰が登場していってもよい。大工、鋳掛屋、靴修繕屋、旅行者、船の所有者、金持ち、貧者、貴族、普通の市民、彼らがいっても前にのべたようなことはない。もし彼が知識がなかったり、おしえられてなかったら助言もする。実際、アテネ人は知識、技術、能力、経験の重要さをよくしってる。

これらはたしかに存在し、公共のために活用できることをしってる。彼らは軍の士官、国庫の管理者、艦船の建造者、水道供給の管理者は籤引きできめず、選定する。これらは究極的に生きるか死ぬか、あるいは国家財政の安全につながる問題だからである。それ以外のことでは専門性についておおくは考慮しない。もしかりに彼らが管理や能力の判断のために政治学の教授、哲学者、法律家を選定しないとしたら、

* 政治は専門家がやるのか
それは、これらの分野で役にたつ専門性があると確信をもてないからである。もしそれがあるとするなら、彼らは公共のために間違いなく活用してるろう。この二千五百年のことから彼らが間違ってるという自信が私にない。我々の議会の上院、下院の議員たちのなかで法律をまなんできた人たちが何パーセントいるか私はしらない。だがそれはおおすぎるとおもう。こんなことに我々がだまってすませてることは、実は異常なことととおもう。我々の社会がみせてくれる専門の多様さ、それが政府機関においてはみられないのである。アテネ人はこのような非民主主義的状態をゆるしていない。

* 馬鹿と無能の危険性
次にいえることは、公共分野で馬鹿と無能が重要な役割をはたすことはもっともあってほしくないことだからである。当然、専門性と経験の否定には裏腹の問題がある。それは究極には自分たちが何をはなしてるわからない人々がどんなかたちにせよ影響力をもつという事態を生みだす。これにつきアテネ人は白痴、馬鹿、狂気、その他、のぞましくない要素がつつよい影響を政治にあたえることに警戒心をもっていた。

* 政治の決断の方法
政治の決断、これが何かはっきりしないが、我々はこの点では彼らよりうまくやってるとおもわない。こんなことを思いだす。ウリアム・バックレー(William Buckley)は、ボストンの電話帳から最初の五十あるいは四十人を抜きだし地域の政治をまかせたほうが、ハーバード大学の教授陣よりうまいくいくといってた。これは私も同意する。たぶんエール大学もおなじだろう。

民主主義のうごかしかたをかんがえる時に我々のやりかたが惟一とかんがえる前にすこし時間をとってかんがえるべきとおもう。アテネ人はこの問題にどうしたのだろうか。議会が決断するのは当時の批評家やあなたばがかんがえるよりずっと、うまくうごけないし、その能力もとぼしい。何しろ五千から六千人の人々がいて決断しようとしてるのである。

* アテネ議会の決議
アテネの市民は毎年、開催される会議の最少の半分に出席するなら、二十もの会合で討論をきくことになる。もっとも有能の人々がやってくる。選挙でえらばれた公職者、かってそのような公職についてた人々、各党派を代表する指導者、問題によりえらばれる相当数の専門家、彼らが意見をのべるのである。

これらは真剣な議論である。事前に発言を用意できない。いわゆる政策集といった資料をみるわけにもいかない。本物の議論であり、発言者はむずかしい問題や反対者からの議論に即興でこたえねばならない。反論しなければいけない。真剣な議論の後に投票がおこなわれる。それは討議者と聴衆がつくった重要な結果である。

* 議会傍聴の経験、表決
そこで、その議会の出席者がどれだけの時間、議論をきいたことになるか。それぞれが平均で十年とみてよい。またおおくは、それ以上だろう。そのような経験がつもりつもって、それだけでもすぐれた投票者の集団を作りあげたにちがいない。それは比類のないほどの啓発され洗練されたものだとおもう。このほかに毎年、五百人のアテネ人が五百人委員会に所属する。そこでアテネについての管理運営の経験をつむ。それはささいなことから、深刻な問題にわたるものもある。

* 経験をつんだ判断
議論の基礎であり議会投票の基礎となる法案を提出する。特定の議会の会合には数千人が出席するが、そのおおくがおそらく五百人委員会の仕事をし、いわば訓練をうけてるだろう。このような経験をもってるなら、無知の大衆がおこなった決定という主張は説得力がないといえそうだ。私は次のような例をかんがえる。

十九世紀のこと、人々は音楽会にいく。そこでは聴衆のほとんどは音楽家だった。ラジオもテレビも録音機もない時代だった。音楽がききたかったら演奏しなければならない。ことに女性はそうだが何かの楽器の演奏をまなぶ。演奏ができる。彼らは楽譜がよめ、理解できるが、それは音楽に参加してることからくる。

今日ではこんな状況はほとんどない。ベートーヴェン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)のような人が作曲しオーケストラを指揮した。彼らはある意味で専門家といわれ、また充分な教育をうけたアマチュアといえる人々が演奏してたのである。
これが私のいう比較である。職業的政治家、それがいるとして、アテネではまったくかかわらず、またしれない人々を我々はあつかってる。
(3の1おわり)

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