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北敵ゴール人がきた(簡略ロ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
比較的平穏だったゴールズとの関係が土地争いから全面戦争になる。だが二人の執政官の活躍により勝利する。アミリアス、レギュラスの指揮、テレモアンダの大勝利をあつかう。
(Ancient Rome History - Here come the Gauls - 31、Historyden)

* 北のゴールズとの紛争
前回はハミルカーのライベリア(リベリア)遠征をのべた。彼の死後にゴールズ(ゴール人)とローマのあいだに戦争がおきた。これをのべる。ポオ平原は非常に肥沃でうつくしい平原である。かってエトラスキンズが占拠してたがゴールズが彼らを追いだし占拠した。彼らのことをシスアルパイン・ゴールズという。またいくつかのゴールズの支族もすんでた。ローマの拡張につれ軋轢がうまれた。その一つが紀元前四世紀のゴールズの侵略である。ローマは略奪され混乱したが、それにもかかわらずこの地にすんでた。ゴールズの侵略は時おりおきた。ローマ人の恐怖の種だった。サムナイトとの戦いで彼らとゴールズが同盟しローマとたたかった。ここでローマはゴールズを粉砕した。それ以降、比較的平和な時期が数十年間つづいた。これはローマにとり幸運だった。当時は南イタリアでギリシャとたたかわねばならなかった。時には紛争があったがレージョンを派遣し事がおさまった。なおもローマ人はそこにすんでた。

* ポー平原、土地争いから全面戦争へ
土地の争いから全面戦争がはじまる。紀元前二三二年にローマがパイシーノンとい土地の入植者をきめた。ここはゴールズの一支族の土地だったが、最近の征服でサムオンズという支族からローマの土地とした。ところがここはゴールズが領有しローマの土地が隣接する土地だった。その土地にたいする愛着がゴールズにつよい。しかしローマはこの地に侵入して無法にもローマの市民が入植してくる。サムオンズと争いをおこし彼らを追いだす。サムオンズとローマが共存する方法があったかもしれないが家も土地もうばわれた彼らの怒りはおおきかった。このため二つのおおきな支族であるインスブリズとボエインズが戦争へうごきだした。ゴールズの防衛のためだった。このままでは自分たちが次の標的となるとしんじてた。

* 巨大なゴールズ同盟軍にたいするローマ
彼らはサムオンズの北西にいた。彼らは他の支族に同盟をよびかけた。ローマがもっともおそれてた同盟である。個別の支族との戦いは想定内だが一大同盟が成立するとローマへの重大な脅威となる。ローマはすばやくうごいた。海外の活動をひかえ対応に集中した。紀元前二二五年ゴールズは巨大な戦力をポー平原に集結させた。ローマは二つの支族、ダバニティとシノバニと協定をむすんだ。さらに戦いにそなえて食糧、資材をあつめた。軍の行動を支援するものである。ゴールズは兵力は五万の歩兵と二万の騎馬兵である。野営地を出発し南にむかった。ローマの同盟都市も可能なすべての動員で対応した。戦略である。二つの方面からの侵入が予測される。エラミノからである。これはタイバー川をわたれば直接にローマにむかう。もう一つはアパナイ山脈の方面からツリアにくる。ここはルートがさらにわかれる。

ローマはこれらの進路を想定しそれぞれに軍を派遣した。執政官のルシアス・アミリアス・パペスはとその軍はアラミノにはいった。二万の兵がしたがった。ツリアの進路にはローマとエトラスキンズの同盟軍がいた。指揮官のことだが、もう一人の執政官のティリアス・レギュラスはサルディニアの反乱をおさえる作戦に従事してたので、ここにはいなかった。ゴールズはついにアラミノンにやってきた。これはローマが最有力と予想してた進路だった。ここから彼らは面白い行動をとった。アラミノンにはいろうとせず右に方向をかえアパナイ山をこえツリアにやってきた。

* ゴールズがクルージアンに、放火、略奪、ローマの敗北
彼らは放火し略奪をはたらいた。さらに進軍しクルゥジアンにやってきた。ここからローマは三日の距離である。ツリアにいたローマと同盟軍もやってきた。両者の野営地は非常に接近してたので明日にも戦いがはじまる状況だった。ここでゴールズは巧妙な罠を仕かけた。歩兵隊は闇にまぎれて野営地からとおざかる。しかし騎兵隊はとどまるがおくれてその進路をおう。翌日である。ローマはこれをみて歩兵は逃走し騎馬隊だけがのこったとみた。ローマが騎兵隊をおった。すると森のなかからゴールズの歩兵隊があらわれた。ローマには衝撃の敗北をきっした。ローマと同盟軍は六千の兵をうしなった。のこったものは近くの森に逃げこんだ。ゴールズは森をかこみ待ちうけた。ローマは窮地に落ちいった。

* 執政官、アミリアスが救援、サルディニアから執政官、レギュラス
この敗北のしらせがアミリアスにたっした時に彼はただちにアラミノンを出発し現場にやってきた。これをしってローマのレージョンの士気はおおいにたかまった。彼は自分の指揮下に敗北の兵もふくめて軍をまとめた。他方、ゴールズは次にとるべき行動を議論した。彼らはうばった戦利品のおおさに圧倒された。ゴールズにむけ退却することにした。ローマは様子見。ゴールズは退路の選択という状況となった。アミリアスは彼らの退却を阻止せず追いうちにする作戦をとった。動きを監視してると彼らは西にむかい沿岸線に近づいた。さらに北にすすむ。サルディニアにいたレギュラスは船でピザに上陸した。ただちに南に進軍した。それはまっすぐローマにむかうものだった。

* レギュラスの騎馬隊がゴールズの騎馬隊を敗退させる
彼の進軍は退却するゴールズをアミリアスと挟みうちにするかたちになった。しかし敵までの距離はわからなかった。アミリアスのほうにはレギュラスとその軍がやってくること、それも急速にやってくることがわかった。またすでにゴールズにもレギュラスの接近はわかってた。彼らは前後に敵をむかえることをしった。南からアミリアスが攻撃にでた。しかしレギュラスの軍の到着は予測できなかった。戦いがやや膠着状態となった時にレギュラスとその騎馬隊が姿をあらわした。そしてゴールズの騎馬隊に攻撃を仕かけた。これをみてアミリアスもまた騎馬隊をおくった。戦場を見おろす高地をどちらがとうるかは戦いの帰趨をきめる。レギュラスは勇敢に高地の騎馬隊に攻撃を仕かけた。彼は戦死したがローマが勝利した。鍵となる高地をとった。騎馬隊はたちまち戦場から逃亡した。

* テレモアンダの戦い、両軍歩兵の激突、ローマの大勝利
ここで南のローマの歩兵隊と北のゴールズの歩兵隊がぶつかりあう。ローマがまず投げ槍攻撃を仕かけた。これは通常の開戦の方法である。はげしいゴールズの攻撃があった。どちらも決定的な戦果をあげられなかった。近くの丘からローマの歩兵隊がやってきた。ゴールズの編隊にわってはいった。おおくの兵がころされた。四万の兵がうしなわれた。ローマはさらにその部隊長を捕虜にした。アミリアスは戦利品を戦場にはこばせ勝利をいわった。そしてゴールズが略奪したものを元の持ち主にかえした。彼はローマにもどり勝利の宣言をうけた。このテレモアンダの戦いの勝利の後にローマは北のポー平原でゴールズを攻撃した。勝利しおおくの支族を支配下においた。この戦いは二人の執政官の指揮振りが目だつ。彼らの果断な決断が勝利をみちびいたといえる。

(おわり)

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StevQuef

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by StevQuef (2019-07-13 10:41) 

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