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ギリシャ文明の七不思議 [英語学習]

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* 内容の紹介
ギリシャ文明が世界にのこした七つの不思議をあつかう。その大意を以下にしめす。(Seven Wonders of Ancient Greece,The Greek and Roman Civilizations)

* はじめ
古代ギリシャ世界は西欧文明や世界の不思議となる伝説を生みだした。海にきえたユートピア、アトランティスの謎、おそろしい半獣半人のミノタウロス、神の神、ゼウスにささげられ四年ごとに開催されるオリンピアゲーム。未来を予言する神託の聖地デルファイ。ギリシャ人の天才をしめす完璧な音響効果の劇場。ロードス島にたつ青銅の巨像。アテネの丘にたつ神々をまつるパルテノン。これらがどのようにしてうまれたか、その革新的な技術は何かをみてゆく。

東地中海に位置するギリシャ。かっての姿は現在とちがう。壁にかこまれた都市国家が散在した。それらはやがて帝国へと変貌していった。ギリシャ人は各地を支配におさめ発展させた。そのはじめにつたえられるおそろしい神話がクレタ島にのこってる。

* 怪獣ミノタウロスの迷宮
そこのクノッソスの宮殿はミノアン文明の精華である。彼らはすぐれたた海洋民族であり富と貿易を支配した。ギリシャ神話ではその地の王、ミノスは迷宮を建設しそこに怪獣を閉じこめた。不実な妻と聖なる牛の間にうまれ半分は雄牛、半分は人間である怪獣。ミノタウロスは人間の血にうえていた。海の支配者として王はギリシャに命令、七人のわかい男女を犠牲にささげさせた。伝説によれば彼らは迷宮につれてゆかれ、いきたまま、たべらたれた。

クレタ島にはクノッソス宮殿が現存してる。これが伝説の建物か。二千年前にたてられたものなのか。数百の部屋がある。一九〇〇年、英国の考古学者アーサー・エヴァンスが伝説の宮殿をもとめて発掘に取りくんだ。彼はすぐに石造りの椅子を見つけた。これが王のものとかんがえ彼はギリシャの王に招待状をだした。発掘をすすめると壮大な宮殿があらわれはじめた。二千平方ヤードの広さに青銅時代の人々がなしとげたすぐれた技術の成果が出現した。彼らをミノアンとよんだ。

基礎から彼は、うしなわれた文明をうかがわせる建築物の一部を再構築することができた。斜面の上にたち、多層のテラスをもつ四階だて。建物の中をはしる階段。杉の柱によりささえられてた構造。採光にすぐれたおおきな窓。内部の光やスペースを調整できる先進的な扉。ゴミ、廃棄物を処理できる構造。世界初の水洗便所などの革新的技術がふくまれてた。宮殿にむかう道路は舗装され側道をもつ。ローマがつくったより千年も前であった。この宮殿はたかい文明をあらわすものであった。

エヴァンスが何故、ミノタウロスの迷宮と関連づけたか。彼が見つけた手掛かりである一。つが両刃の斧のマーク。これは古代の言葉でラブリスとよぶ。彼はこれをラブリンス、迷宮の語源とかんがえた。もう一つは千五百もの相互につながりあった部屋の構造。神話によればアテネの英雄、テーシアスがミノタウロスをたおすため志願した。剣だけで武装しミノタウロスとたたかった。ここではアテネの存在がおおきいが事実はクノッソスが繁栄してる当時は弱小国にすぎなかった。では実際には誰があの石造りの椅子にすわってたのか。現在では女性の神官とかんがられてる。怪獣の実在はさておき、この建物の構造が神話の語り手におおくの示唆をあたえたのだろう

* デルファイの神託
怪獣、英雄、神が活躍する神話をギリシャ人はしんじてる。神は人間の運命を支配する。だから自分たちの未来を神からききだい。人里はなれた高地デルファイに すぐれた力があることがわかった。そこの巫女をつうじ神とはなすことができる。この予言、予知はデルファイのオラクル(神託)といわれる。ギリシャ人たちはここに未来をしりたくてやってくる。そこで未来を予言することはおおきな商機をつくった。

神託はおおきな収入源となった。デルファイは重要な土地となり各都市国家はここに外交使節をおいた。これはスイスの銀行の財力とバチカンの権威をもったものだった。デルファイはギリシャの中心とかんがえられた。おおくの建築物が集積する場所となった。当時、三千もの記念物があったとローマの詩人プリテイジがいってる。もっとも重要なものはギリシャのアポロの神殿である。これが神託の中心をなした。

アポロは未来をのぞき、何がおきるかを一つの文章でしめす。これが神託である。このような信仰が支配する社会ではあらゆる出来事が取りあげられ問いかけられた。時には非常に政治的な事項、戦争をはじめるべきか、から、きわめて個人的な事項、ジョンの父親は誰なのかまで。

神託をうけるには困難な手順が待ちうけてた。その神秘の謎にまつわる話しがある。何故、デルファイに神託がうまれたのか。二千フィートの山地にうまれたか。一つの伝説がいう。そこには蒸気が発生してる。そこに棲息する山羊がそれに巻きこまれ異常な反応をしめした。これが予言のあらわれとみなされ、デルファイが神託の地となったという。

アテネ、紀元前六世紀、政治家のプラスタミイズは自分の地位をたかめるためデルファイの蒸気が発生する場所にアポロの神殿をたてた。けわしい高地での建設は容易でなかった。七十フィートの幅、百九十フィートの長さの石灰岩のテラスの構造。大理石の列柱。彼は政治家としての勝利をえるため有利な神託をもとめた。その賭けは成功した。

神殿ではペシアとよばれる巫女がアポロの神託をつげる。男性の神官はそれを説明するだけである。巫女はただ神託をつげるだけ。男性の神官がこの富をもたらす神託の仕事を支配した。彼らは舞台の黒子をえんじてた。

どのようにペシアが憑依するのか、いくつかの説明がある。毒性をもつ蜂蜜使用のケーキ、麻薬がふくまれる粉末など。しかし科学的調査によりあきらかとなった。それは山地から発生するあまい香をもつ気体である。アスリンのガスである。巫女がその場所にいて神託をまつ。ガスは恍惚状態、時には譫妄状態をもたらす。実質的に力をもった男性の神官が何がおきるかを正確にいうのではなく、その一部をあきらかにする。このようにしてデルファイの神託はギリシャの政治において千年の長きにわたり権威をたもった。

* 劇場
神を褒めたたえるため、古代のギリシャ人は工学をきわめた建築物をつくった。その一つがダイアノシスの神のためにつくった劇場である。それは西欧社会において最大の劇場である。優秀な音響効果をもつ建築物である。アテネから百マイルの距離にあり、エピドウラスの丘に建設された。千四百席をようし二千五百年の長きにわたり観客を魅了してきた。これは工学の最高傑作である。

おどろくべきことだが劇場に隣接して療養所が付設されてた。古代のギリシャの劇場は医療の一部だった。劇場では音楽劇がえんじられた。音楽には治療効果があると偉大な哲学者アリストートルもいってる。精神に問題をかかえる人々にたいし治療効果がみとめられてた。医学の神、スクレピオス、身体が蛇である。治療に奇跡をおこしたと石にきざまれてる。ギリシャ全土から、さまざまな障害のある人々があつまってきた。

紀元前三六〇年、患者たちの献金により建築家ポリクライテスが既存の円形劇場にくわえて、あらたに壮大な規模の円形劇場を設計した。舞台の裏から朝日がのぼってくるよう西向きにした。観客を収容する区画は三十二列、各二十三の席をもつ。演者の後ろにスケーナ、現在では舞台(シーン)をもうけた。二階建の建築物だった。マイクロフォンのない当時において演者の声が一万四千人の観客にとどいた。演者がコインをおとしても後ろの列にまできこえたという。演者の歌声はステレオ効果により鮮明となった。二千五百年の後にも、なお実演され最高の劇場としてみとめられてる。

* ロードス島の巨像
古代のギリシャ人はすぐれた建築物を生みだした。ロードス島という小島にたてられた巨像である。それは戦勝の記念物だった。これが港の守り神として百十フィートの高さをほこってた。、それは米国の自由の女神像とほほおなじである。。現代の建築学の助けによりどのようにたてられたかを推測することができる。紀元前三〇〇年に話しがはじまる。数年にわたる戦い、数のうえで圧倒的に優勢な敵に奇跡的に勝利した。その勝利をいわいロードス島の人々は太陽の神ヒディオスの巨大な像の建設をきめた。地元の彫刻家、パレーズが建造することとなった。通常の二倍の高さの像だった。十二年の困難な作業が必要だった。また二百トンもの青銅が消費された。彼はたてる場所を選定しなければいけない。

それにはまず港からよくみえる場所である。次に建築のための堅固な岩盤である。その想像の姿の一つは港の入口をまたぐものだった。これは構造的に不可能である。現在の結論は港を見おろす丘である。そこには中世の城がたってる場所である。

前例がない工事である。彼は一歩一歩すすめていった。そのため木枠をつくる。そこに青銅板を張りつける。百フィートの高さまで土盛りをして建築の補助とする。青銅はロードス島の主要な輸出品だった。溶融した青銅をながしこむ巨大な鋳型の跡がのこってる。当時で最大規模だった。土盛りの斜面を作業員が次々と青銅の板をはこぶ。像が安定するため重しを内部にいれる。十二年の後に土盛りが取りされその全容がパレーズの前に出現しただろう。二本足の立像が安定してたつ。それには目だたぬよう支持する第三の足が必要だったろう。それはともかくパレーズの傑作は六十年間、立ち姿の偉容をみせることができた。紀元前二二四年に地震がおきた。立像は倒壊した。

捻れがうまれ足が地面に固定されてたため、膝が弱点となった。そこが破壊され前に倒壊した。ロードス島の人々はデルファイに神託をもとめた。巨像の再建築は島に不運をもたらすという。百年間、放置され、最後にスクラップとなった。像は倒壊した。しかしその考え方は後世の彫刻家に引きつがれた。そのもっとも有名なものがオーガスト・バトルギーが設計し建設し一八〇〇年にたてられた自由の女神像である。

ギリシャ人はしんじられないほどの巨大な彫刻像作りにすぐれていた。オリンピアの象牙のゼウス像、アポロ像は世界最大だった。これらがつくられるずっと以前からこの地を有名にしたのは青銅の英雄像である。これはオリンピアの競技会の勝利者たちである。

* オリンピアの競技大会
オリンピアはそこで神と人がたたえられるただ一つの場所である。四年ごとの七月にギリシャ全土から何千もの人々がやってくる。そこで競技をしすばらしい行事を鑑賞する。これは芸術やスポーツを複合した楽しみである。これは紀元前八世紀からはじまったという。二百ヤード短距離走、千ヤード競走からはじまったという。八月に競技がはじまる。もしこの期間に争いをおこすとゼウスの呪いをうけるという。すべての戦争状態にある都市国家は武器をおきこの平和の祭典に参加する。これが重要となるにつれ、ここは世界初のスポーツの都となった。トレーニング・センター、ゲスト・ハウス、四万人を収容する競技場などである。

試合が繰りかえされ最後の勝利者の一人にゼウスの名のもとにに名誉があたえられる。二百、四百、五千の競走、レスリング、円盤投げ、槍投げ、これらは戦いの姿をあらわすものともいえる。多数の試合から二人の戦いにしぼられる。このような競技に参加できるのは、かぎられたエリート、富裕層のみだった。オリンピアにゆくには、準備、訓練に十ヶ月、オリンピアにおいて一ヶ月の訓練が必要だった。

オリンピアはたちまちさまざまな体育、競技の施設が集合した地域となった。ゼウスをまつる神殿、勝利者をたたえる施設、レスラー、ボクサーの学校に付設された彼らを記念する体育館。競技におじて建設された専用施設。二輪戦車用の施設などである。

生涯にわたり勝利者は公共の負担により食事をする権利があたえられる。その名前がオリンピアの周囲にたつ立像にきざまれる。カレンダーに特別な週間として命名される。各回の勝利者の名前は記録として保存される。これは千二百年にわたり継続した。だが紀元三九四年にキリスト教徒である皇帝シアドーシアスにより異端行事として禁止された。今や四年ごとに点火した松明をマラソンではこぶことになった。

* アトランティス
注目をあつめるという意味ではさらに壮大な話しがある。うしなわた世界、アトランティスである。ギリシャの哲学者プラトンがユートピアの話しとしてアトランティスを紹介してる。腐敗し罰として火山が爆発。これにより滅亡したという。三千五百年前、エーゲ海の島の火山が噴火した。その結果、サンタリーニの島々がのこった。考古学者が島の地層を調査した。そこから噴火前の様子を推測できる。当時の零レベルの地層、その上に果樹、喬木、さらに噴火の灰が堆積。それが十フィートにもなる。プラトンはアトランティスに都市があり繁栄してたという。この伝説とサンタリーニの島には関係があるのか。一九六六年、遺跡発見のニュースが世界をさわがした。

ギリシャの考古学者がそこから一級の美術品を発見。保存状態は良好、都市の遺跡だった。八から十メートルの灰の堆積にうまってた。そこに壁画があった。そこにサンタリーニの地図がえがかれてた。火山噴火前の姿だった。この絵から人々が充分にゆたかな生活をおくってた。貿易をさかんにおこなってたことがわかる。これはプラトンのアトランティスの生活に類似する。ここにすんでた人々は火山噴火の危険をほとんどしらなかった。噴火がおきた時、ジェイソン島の人々は命からがらに逃げだした。海水と接触して大量の水蒸気が発生した。やがて噴火口が陥没し九百フィートの深さとなった。そこに海水が流入した。考古学者の調査はまだつづいてる。このような大災害は人々の記憶にのこり伝説、詩として伝承された。

* パルテノン
古代ギリシャはおおくの伝説をのこすばかりでなく、彼らの偉大な業績ものこしてる。偉大な建築物、パルテノンだ。アテネの聖地であるアクロポリスにはパルテノンが彼らの成功の象徴としたてられた。二千五百年を経過してるが今なお健在である。

それはペルシャとの戦争でペルシャにより破壊された。それを復興させた。これは通常の神殿とちがう。きらびやかにかざらられて外装と彫刻がほどこされた内装があった。この建造には二人の人物がかかわった。政治家のペリクリースと当時もっとも高名だった彫刻家フィディアスである。

これはペリクリースによってかんがえられたアテネの再生事業の一部である。その資金はペルシャ戦争のためにアテネとその同盟国によって準備されたものだった。。これをペリクリースの政敵が批判の対象とした。彼はこの批判を無視してすすめた。百一フィートの幅、百二十八フィートの長さの敷地。何千トンの大理石。八マイルにある近郊の採石場からはこびこまれた。柱につかう石は急峻な坂をのぼりはこばれる。そのため特別な技術が必要。プーリーや牛にひかせた。また建築現場ではたぶんクレーンも使用したろう。石の設置には細心の注意をはらった。

ギリシャ人は透視法をルネッサンスの時代に先だって理解してた。床の中央が二吋半たかい。中央が若干たかくなることにより完全な直線の印象をあたえてる。柱についても細心の注意がはらわれてる。外側の柱がすこし傾斜してる。これが優雅な外観をつくることに成功してる。石と石を結合させるためにクランプという器具がつかわれてた。地震の時にその位置をすらさないのに役だってた。内装の話しである。

そこにフィディアスが贅をこらして印象的な立像をたてた。女神アテネである。象牙と黄金の傑作である。パルテノン建造資金の半分がついやされた。ほとんど四十フィートの高さで内装を支配し礼拝者を見おろしてた。五百二十四フィートの長さにわたりアテナをあがめる毎年の市民行列が彫刻でえがかれてる。当時の姿は色がほどこされもっと生彩にとんでた。この傑作がかならずしも成功とみとめられたわけでない。ペリクリースの敵対者たちはパルテノンを飾りたてたと非難した。その時、彼の伴侶としてた女性、アスベージアを引きあいにだした。彼女は貴族階級の生れではなかった。さらに彼の信用をおとしたのはフィディアスの建設資金横領問題だった。さらに神への背徳の罪だった。一時のスキャンダルがあったがパルテノンは長年の風雨にたえ建築の偉業として今につたわってる。

これら七つの不思議は文明のおどろくべき成果として今につたわってる。

(おわり)

* 感想
七つのテーマが要領よくまとまってる。やっててたのしかった。ボイス・レコーダーで減速して再生してるので音はとれる。ただ語彙の問題がある。たとえばデルファイで蒸気が発生してる場所にかんし、フウート・ラインという言葉だでてる。たぶんfoot line。大意に関係しないのでこれ以上詮索してない。このような問題は自分の知識をふやすしかないだろう。

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by LesAdjugs (2019-07-11 19:07) 

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